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「公 聴 会」第三回
日 時:2009年7月1日(水)19:00〜終電まで
会 場:Super Deluxe(港区西麻布3-1-25-B1F)
料 金:入場無料(要ドリンクチャージ)
D J :村尾 泰郎、福田 教雄、畠中 実(ICC)、安永 哲郎
企 画:安永哲郎事務室
どんな変化があるのか楽しみにしてた生理がきた。たしかにPMSのようなものは軽減していたような気がする。ただあの、ぼぉぉぉ、はやっぱり感じるけど。痛みは少ないです。生理の軽い人が言う「お腹が重いけど薬を飲むほどではない」がやっと理解できた。もうずーーーっと鎮痛剤なしでは生理を過ごしたことがないので、これはやはり画期的です。そして量もたしかにすぐに少なくなった。
無気力には相変わらず襲われるけれど、こんなときに大事な?用を頼まれ、集中するのに時間がかかった。でも気合を入れて考えましたよ。家じゃできないので喫茶店でむぅとしていたら、書く紙がなかったのでレシートの裏に箇条書き。柴田さんも、翻訳の下訳をするときは広告の裏とかに走り書きするそうです。比べるなって?
内容についてはまたお知らせしますわ。
ぼぉぉぉとしてたので、ピルをもらいに行くのも面倒がっていたら、切れてしまう!慌ててシフトを代わってもらって駆けつけなければいけない。もう3ヶ月分くらいもらってこようかしら。
いろんなことが面倒になるので、今朝は化粧する時間がなく、職場についてからでいいやと道具を持って(ファンデとビューラーのみ)出かけた。着いてからも面倒でする気がなく、同僚に、今日化粧してないけど平気か、と聞いてみた。いつもよりさっぱりしてる気がする、というので、じゃ、いいやと放棄すると、信じられない!と呆れられる。だってしたってたいして変わんねーし。ファンデーションを塗ってビューラーでまつげ上げて、チークをちょっと塗るくらいしか毎日してない。眉毛は濃いからいじることはまったくないのが、化粧前後の差がない要因かしら。それやばいよ、という視線に対して、ほら、休みの日はもちょっとやってるから、と言い訳(そういうことか?)。
なんだか最近、化粧に対して以前よりさらに抵抗感が増している。化粧の濃い人(てか標準だろうけど)を見ていると、なんでそんな武装する?と思っちゃうんですねぇ。顔がわからなくなってるけど、そもそもそのためにやるのだろうね。化粧とひとことにいっても、素敵なのもありますが。
汚い写真ですいません。ダニエル・クロウズのUgly Girlという、彼のぶさいく好きが披露されている漫画がある。子供のころに妙に惹かれたのは、出っ歯とか目が近寄りすぎとか、額の広すぎる子だったらしい。世の中のイイ女基準も理解できない、とばかりに、左のイケイケと右の文学少女が比較されている。イケイケは、自分嫌いのために過剰なメイクをほどこす。着飾るのはエゴと情緒不安定を表し、ファッショナブルな服を選ぶのは、彼女が退屈で流されやすいため。一方飾り気のない女子のほうは、気さくに見えるのは精神的に落ち着いているから。頭がよく教養があり、女性であることに快適さを感じている。
だから世間でアグリーと言われてる女子のほうがイケてるんだ!!と興奮しながら語る主人公の妻は、実はイケイケタイプ、というオチです。というクロウズの奥さんは、クラシックな少女系です。充分かわいいのだけど、アメリカ男性の基準でいうと、もしかするとgrooooss!なのかもしれない。
世の中にはこういう男性もいるのですねぇ。もしかしていっぱいいるのかしらん?
同僚(ハルキファン)に前出のメール返答集の話をした。そこで村上春樹が何度となく、「恋をしなさい。それは後々じんわりと響いてくる」みたいなことを(キザっぽく)ゆってるんだけど、そういえばそうだよね、と思ったのさぁ、と言うと、だから化粧してよ!と返される。だから化粧の問題じゃねーよ、という態度が反社会的なのか・・。
もう5歳になろうかという私の携帯がもうすぐ力尽きるかもしれない。新しいのに代えたらカメラは相当高性能なんでしょうねぇ。最近撮ったどうでもいい写真ばかり。
部屋を飾るのが大変下手じゃなぁと思って撮った1枚。Sundayという映画のチラシは、なんだか好きでずっと飾っている。学生時代に女友達4人と初の海外旅行でNYに行ったときに、ナイスなインディペンデント映画館Film Forumで観た映画(しゃべってるだけの地味な映画だったので内容がほとんど分からずでしたが)。全然興味のなかった友人の一人が私の隣でよだれをたらしながら寝ていると、映画館を出たあとで財布をとられたのに気づいて警察に行く騒動に。プラダのデカいナイロンバッグの口まで大きく開けたままだったのだ。日本人の習慣か、一応警察に届けようということになったけど、もちろんそんなんでてこないぜ、と言われていたみたいです。この旅行はけっこうおもろいことがいっぱいあったので、いつか書いてみたい。女4人で行って、そのうちの私を含む2人はタンポン未経験者だった。経験者が、2人を各々部屋のトイレに閉じ込めて、入れるまで出てくんな!とイヂメられました。結局そのとき無事成功したのか肝心なところが思い出せない。
新宿のど真ん中にできたシネコン、バルト9のエスカレーターから見える都会の高校。写ってないけど、この建物のうしろは墓地。バルト9のエスカレーターは全面ガラス張りの横をえんえん降りて行くのだけど、この作りがグラスゴーのど真ん中にある珍しく高い建物であるシネコンに似ているね、と友人と懐かしむ。
友人がトマトの苗をくれた。デルモンテお墨付きの中玉とプチトマト。中心の茎がよろよろするくらい背が高くなっていて、急いで土と鉢と支柱を買いに行ったものの、植え替えるのが遅すぎたのか、育ちが鈍いような気がする。もっとわさわさするよ、と聞いていたのだけど。うちは南側のベランダのほかに、北側に広いベランダがある。最上階で向かいに高い家もないため、北だけど陽が当たる部分があるのでそこに設置しています。南側は洗濯ものが干せなくなる・・。
職場の同僚と、買ったときの小さいゴムの入れ物に入ったままになっている状態の、狭いよう、という苗の声を体で表現して遊びました。ガラスの仮面のマヤも稽古で与えらていそうな課題。
目白にある志むらという和菓子屋さんのカキ氷ディスプレイ。これがただの苺味シロップがけカキ氷にあらず。なんとこの雪崩は本物の苺だそう。半苺ジャムがどばっとのっているようなものかしら。800円なり。
私は和菓子全般が苦手です。あんこは小さいころから今に至るまで食べられない。でもここの九十九餅(つくももち)はうまいのです。って前にも書いたわ。最近信玄餅なるものも食べたら、九十九餅よりも甘さひかえめでおいしかった。ワラビ餅のもっともっちりしたのに豆が入ってます。
これまたどうでもいいけど、今日デジャブをみました(バンドではない)。おじちゃん店長が、私の隣でお客さんの名前からデータを調べていたところ、彼がこのお客さんの名前で調べている様子に完全に既視感が!そんなの他人にとってはどうでもいいと知りながら、××さん!私今デジャブをみています!と宣言する。デジャブといえば、エターナルサンシャインで、ジム・キャリーがデジャヴー!と一人でころころ喜んでいるのをいつも思い出してしまう。ヴーにアクセントです。
補足。今朝もアッワア〜ワが消えません。
初対面の連れの二人がキセルが好きなほかにも共通点があったようで、なんだかマッチメイキングをしたみたいな気分でした。好きなものが同じっていいよねぇ。でも私も今日、いつも一人だから行けなかったライブに一緒に行ってくれる人がいたことが判明したので、今度は必ず!と勇気付けられました。ほんと、一人でライブに行くのが億劫で仕方ないです。一人で行くなんて、もはやwhat's the point?て感じですよ。行けるのもうらやましいけど。
私はどうも今ここでは似た趣味の気軽な友人がほとんどいなくて、少々寂しい。まあ仕方ないけど。同じ趣味でなくても話の通じる人はいるので、それだけでも幸せですね。そして気軽に会えるバードファン仲間が一人でもいるだけで幸運と思います。
切に情報交換を求むので、コミックファンに会いたいなあと切望するも、このブログでもコミック関係で検索にひっかかってやって来る人は皆無のようです・・。こんなに書いてるのにーー!多分好きな人は私と同じように、ダイレクトにあちらから情報を拾うんでしょうね(それしかない)。
それにしても、大好きなトクマルくんやバードさんのライブは、観てる間中あれこれ考えてしまう一方、なーんも考えずにたのしー!で済むのはベルセバくらいのもんだと実感。なんなんだあの高揚感は。ベルセバは今更questionする必要がまったくないのだ。ということを考えても、ベルセバはやっぱり永遠にオンリーワンなんだわ。
昨夜、このライブを観て考えてしまったことを書いたのだけど、どうかなーと思い非公開にしておいた。朝起きて、あれ公開してないよな?よかった・・と胸をなでおろす。そんなにビビるならやっぱやめておきます笑。バードさんは日本じゃウケないよね、とはバードファン仲間とよくゆってるのだけど、そらなんでか、っていう話です。私が偏見に満ちているだけなのか、それ一般論でしょ?ととられるのか、わかりませんが。まあいいや。
昨夜はそんな人に嫌われるような言説をとうとうと書いたので(活き活きするわ〜笑)、ばりばり目が冴えてしまい、村上春樹が以前HPで読者からのメール質問に答える応答集をなにげなく読んでいたらますます目が冴えて困った。この人の小説はとにかく「文体」で読ませる類ですが(本人も「一に足腰、二に文体」とゆってます)、この程度の短いメールの返事でも、読んでいて気持ちいいのだから不思議です。新作も読みたいなあという気分になってきた。誰か貸して〜。図書館では1200人待ちでしたよ(なんだそら?)。
彼のエッセイで特におすすめなのは村上朝日堂はいかにして鍛えられたか。エッセイ(しかもネタがくだらない)を何度も何度も読める、ってのはちょっと並大抵じゃないと思いませんか??
トクマルくんとキセルのライブに行きました。てっきりキセル→トクマルだと思い込んでいたので、上で友達を待ってたものの、ヒマになって降りてみたらキセルの人がぷらぷらしてるので、しまった!と焦る。10分くらい逃してしまった。キセルファンの連れは「年功序列だよ!」とゆってたけど、考えたこともなかったよ。
トクマルくんは(最近の)いつも通りで良かったです。以前の大所帯のときよりも締まってて安定してます。今日観てて初めてふと思ったのが、男性コーラスがあったらいいな、と。新町くんは歌わないんだろうか。音が高すぎる?
譜面台があるので、カバーだ!と喜んでいたら、またBugglesのVideo Killed The Radio Starをやってくれました。そう、先月このカバーが誰なのか分からず、友人にほにゃほにゃで歌ってみたら一発で当ててくれたのだった。youtubeでビデオを観たら、トクマルくんバージョンのほうがコーラス部分が素晴らしい! 珍しくループも使ってました(よね?)。We can't rewind, we've gone too far。しかしこの人すごい遠視だな。
歌も安定してて良いのだけど、なんだかトクマルくんは持てるものを出し切らないように見えてしまうのは、勝手に期待しすぎなんだろうか。それともスプリンタータイプで、マラソンランナータイプではないのか。意味わかるでしょうか・・・。今もいいけれど、もっと変貌して欲しい欲求が強くてなんだかすっかり迷惑なファンと化している気が・・。
トクマルくんの、あの白衣のレコ発での史上最長MCを聞いたからなのか、トクマルMCがあまり好きでない連れが、今日はMCが少なくて良かった、とコメントしていました。ふふ。
そのMCでゆってたけれど、日本からわざわざトクマルくんのライブが観たくて海外ツアーについてってしまう人っているんだろうか?? アイスランドなんていいなぁーーーー。昔ヨーガン・テラーの写真集で、ビョークと息子が温泉に入ってる写真を見てからいつかアイスランドに行きたいと思いつつ、ついに一番近いイギリスにいたときも果たせず。アイスランドはたどりつくまで長そう。スコットランドの端のほうからでも、飛行機で3時間くらいだっけ?北欧のほうが近いのかな。
ところで、海外のファンが、わざわざ日本に観に来たりすることってあるんだろうか。日本だったら旅行しにくる甲斐もあるだろうし、いても不思議じゃないですね。自分がそういうことをする性質なので、普通にいるだろうと信じるけど、これって異常?
お次はキセル。以前もこの組み合わせで代官山ユニットで観たときに、初めてキセルを観た。たしかそんときはアコースティクだったと思うけど、今回はドラムとキーボードがいてバンド編成。あの恍惚女性ドラマーはLAKEの人ですね。一度観たら忘れない、周囲にα波を漂わせるような人だなぁ。
前回観たときは、CDでは聴かないだろうけど、どっしり安定してるよいバンドだなあと思った。今回も変わらず。MCおもろいし、雰囲気がよいですね。あまりに良い人っぽい、というか土っぽいというか、dirtyな私はちょっとたじろいでしまいます。でも、音楽は好みじゃないなあと思っても、ステージングで良いバンドだな、と感じることは多いです。ライブっていろんなものがボロボロでてしまう、と思う。
あまりにどっしりしていて、こりゃキセル→トクマルだよな、と実感。現在のトクマルバンドはベースがいないからかしら。今夜はお客さんもよい雰囲気で、久しぶりによいライブを観たなあと満足。帰りはみなで吉野家で〆ました(何年ぶりだ・・)。
内田さんのブログに、ゼミで女子学生が行った草食系男子の生態発表について書かれていた。最初の「すぐに泣く」でもう萎えた。ボーイズドントクライだろ!男泣きとすぐ泣く、のチガイは大きい。「髪型がキマってないときに見られるのを嫌がる」。その頭、もっとぐっしゃぐしゃにしたろか! はあはあ。内田さんは、この奇妙な新種の生物に対して、様子見をすることを生存戦略としていると分析している。そんな子供たち(おっさんも含まれてるだろうけど)を異性としてみることのできる女性のほうが私には謎である。
ソール・ベローのこの日をつかめを意外にさっさと読了。特にコメントすることの思いつかない小説でした・・。父親の抑圧との戦いを彼はよくテーマとしているらしいけど、この「父」(私たちを抑圧する権力者、システムの象徴)との葛藤や対立はずっとずっと昔から小説のテーマだったのに、現在ではその「父」がいなくなってしまったため、現代作家の書くテーマが「幻想」だったり、各々バラバラになっていると小説の読み方書き方訳し方に書いてあった。もはや何に反抗すればいいのか、はっきりと他人と共有できる対象がない。このように大きなテーマがなくなると、小説の個性は文体にでてくるのだそう。何が書かれているのか、ではなく、文章の味を頼りにすることになる。雰囲気で読むということ。これはよくわかる。しかし、そうなると翻訳にとってはえらく不利になるのでは。私の場合だけど、翻訳だと、文章はもうすでに著者本人のものではないので、何が言いたいのかに焦点をあてがちになる。文章を読むことそれ自体に愉悦を見出せないのは、もう翻訳の宿命・・。
といってももちろん素晴らしい訳もあるのであながち言い切れないところもあるけれども。オースターを英語で初めて読んだとき、柴田訳と同じだ!と思ったものだし。でもこういう例は極めて例外でしょう。ちなみに、原文は古びないのに、なぜ翻訳は古くなるのでしょう?というお題が載っていて、これは本当に不思議。ベローも相当ひからびているので、原文で読んだらまた違うのだろうなぁ。
柴田さんという人はいかにも文学に携わる人らしからぬところが多くて楽しい。大学生になっても小説をロクによまなかったとか、ピンチョンの大作のように、全体を俯瞰して読まなければいけないような小説は飽和状態になってしまって読みきれない、とか笑。もともと文学というより英語が得意でこの世界に入ったみたいです。中学生のときに職業適性検査を受けて、芸術家になりたかったのに事務処理能力はずばぬけている結果になり、今はその両方を合わせたことをやっているのでは、と話している。自分は芸術家になれない、でも翻訳をすることでその人になった気になれる。ビートルズみたいなイカしたバンドのコピーバンドをやって喜んでいるようなものだ、と言ってしまうあたり、本当に自分の仕事に自信を持っている人間の謙虚さがでていて好きです。謙虚っていっても、本当のことなんだろうな。
柴田さん関係で検索していると、2chにヒットしてしまい、しばらく読んだ。まずありがちな柴田さんの身体的特徴をからかう書き込みが続き(小さいおばさんみたい←ホント)、柴田は村上春樹の寄生虫だ、みたいなものもあり。世間ではそんな見方もされているのねぇと新鮮。柴田さんは村上春樹の英語チェッカーなのに。様々に柴田さんの「翻訳の神様」信仰に茶々をいれる人が多いなか、東大生による、東大での授業の仕事ぶりを紹介した書き込みには、さすがに誰も反論できないようだった。翻訳もすごい量をこなすだけでなく、本業の英語教師としての仕事量も半端じゃない。レポート添削をこれだけこなす、と言われると、誰しも黙ってしまうのが面白い。労働量の多さに対してだけは誰も文句はいえない、らしい。
ピルを飲み始めてから夜寝る前の読書がしづらくなったので、しばらく在庫が切れていた。慌てていろいろ買ったり借りたりすると、一気に貯まってしまう。さて何を読もうかと探していたところ、バードさんのインタビューに彼の読書傾向に関する質問があったので飛びつく。
彼は最近The Book of Danielを読み終わったそう。NYの左翼知識人についていろいろ知った、とのこと。この小説は、ある夫婦が第二次大戦中にソ連側に情報を提供していたスパイ容疑で死刑になったローゼンバーグ事件をもとにしている。面白そうと訳書(ダニエル書)を探しても、絶版のサンリオ文庫で、近所の古本屋で見つかるはずもなく、ネットでは2000円ほどで販売されている。サンリオ文庫といえば、良書が多かったのに惜しくもなくなってしまったことで有名。痛いことに、杉並、武蔵野、中野のどこの図書館にも蔵書されていなかった・・。この本の著者のほかの作品(ビリー・バスゲイトなど)はあるのに、ダニエルだけない。英語でよむ気力はないなぁ。
バードさんは、気に入った小説家がいればその人の本を片っ端から読んで、尽きたら次の作家に移行する、が何年か続いているらしい。最近ではソール・ベローの時代が終わって、その前はグレアム・グリーンだったとか。ベローもグリーンも、アメリカ文学では大御所なので、わりとクラシック好みなのかもしれません。グレアム・グリーンは情事の終わりだかを読みきらなかった記憶が。ソール・ベローは昔々気になっていた人から薦められたけど、手付かずだった作家。これはあまり思い出したくない類の人だけど、その人は(もちろん)村上春樹も大ファンで、それに対して「ハルキはエッセイは好きだけど、小説は好かん」と反論していた若かりし頃・・・。
この手の作家の本は手に入りやすいので、ダニエル書がゲットできないフラストレーションから、ソール・ベローのこの日をつかめを吉祥寺の百年で購入。seize the day、ですね。訳が古くて読みづらいのもあるけど、内容もちょっとつらい。資本主義成長まっただなかの20世紀前半のNYで、一文無しになりかけている中年男のグチと懺悔と反省。あと4分の1くらい残ってるけど、果たして霧は晴れるのか・・。なんとなくリアリズム小説っぽいので、なにも解決しなそう。NYが舞台の小説は、比較的読みやすい。それらの小説によくある、具体的な通り名や場所の描写がだいたい把握できるから。もうだいぶ古い記憶ではあるけれど旅行で滞在して歩きまくったのと、とにかくNY関係の本を読み漁っていたので。そろそろこの記憶をリフレッシュしてもいいなあとは思っているものの、いつになるやら。
渡英以前は、翻訳をばりばり読んでいたし、さして不自由を感じなかった。翻訳とはそういうもので、英語と日本語の違いを考えたら、むしろ読み物としてよくでてきている、とさえ思っていた(まあ柴田さんが多かったけど)。でも帰国後、急に翻訳が読みづらくなくなる。携帯メールを打つのがつらい、自転車で飛ばせない、に並んで帰国後の3大「できない」の一つとなってしまった。何度か挑戦したものの、柴田さん訳でもインディアナ、インディアナはついぞ完読できなかった(内容は面白かったのに)。思いだせるかぎりでは、完読できたのは同じく柴田訳の雪男たちの国と、ピンチョンの競売ナンバー49の叫びくらいのもの。ベローも読み終わるかしら・・。そんななので、世の中の多くの成人同様、ノンフィクション実用本漫画、に傾きつつある。
ちなみに、バードさんは歴史の本もお好きだそうです。自然科学系のも。最近のフィクションなどはあまり読まないらしい。納得。
今日読み終えたのが、高橋源一郎と柴田元幸の対談本、小説の読み方書き方訳し方。90年代以降の日米の文学界の傾向が、音楽にもあてはまるよなあと実感して面白かった。まあなんだかぱっとしないともいうし、それぞれ好きなことをやっているともいう。とにかく、どこを向いてももはや求心力というものが見られない。そして若い人たちはそれが「普通」なんだろなぁ。かくいう私の世代もそっちに含まれるのだろうけど。
今日職場に、あるメジャー寄りなインディーバンドのボーカル女性が来た(ここを読んでる人の中でも好きな人は多いと思う)。芸能人を使ってめがねを広めようという試みをしている人が連れて来たのだけど(てかその女性ボーカリストはもともとうちのお客さん)、その本人がミュージシャンと付き合っている人で、その縁でいろいろコネを広げているらしい。彼女は私も音楽を聴くことを知ってるので、今日××さんが来るんだよ〜と告知してくれたのだけど、私はその人の音楽を聴いたことがないので、あーそうなんだ、と言うとがっかりされた。同じテンションになれなくてすまないと思うけど、そういうのは全然知らないって話したじゃん。いくら有名人でも、みながうきうきすると思うのはKYですよん。接客の最中も、××さんのファンが見たら驚くと思いますよ〜など、有名人扱いしてて、ぶるぶる。
うちのお店は業界でも先駆者的なのだけど、数年前まではメディア露出が少なかった。というのも、社長がそういったことに無頓着で無関心だったため。それが最近は壊れ始めていて残念です(苦境!)。うちのいいところといえば、流行とかマスコミとかが全然分からないおじちゃんたちが経営している、ことに尽きるんだけどな。
昨夜零時を過ぎて、どうしても甘いものが食べたくなり、倉庫冷蔵庫を捜索するも、めぼしいものがでてこない。なぜかここで諦めず、しばらく腕組をして粘って考える。卵と、珍しく牛乳があるので、プリンか?と思いきや時間もかけたくない。てことでカスタードクリームを作る。いや、何年ぶりかしら。ぷにぷにしたカスタードを、単体で完食。さして甘くないのに、実際使った砂糖の量たるや・・。10年以上前のオレンジページのレシピなので、ヘルシーとか全然意識していないから減らしても、まだ大量に使った気がしてしまう。こうして原材料を目で見て作ってそれをぺろりと食べると、ああ、あの砂糖が全部胃の中に・・と少々切なくなります。お菓子を作るときの砂糖とバターの量って、ひきますね。
ピルに完全に慣れたわ〜と浮かれていて、毎晩夜眠りにつく寸前にあっっ!と飲み忘れに気づくくらい。しかし、3日前くらいから気が重い。もしやこれってPMSか・・。そして夜に軽い吐き気がする。といっても昨日は西荻の蕎麦屋で昼に食べた、お好み焼きサイズの掻き揚げのせいな気がするけど。ほんとに吐いた。私は胃腸が丈夫で、胃ってどこにあるの?など胃痛で日常的に苦しむ人に睨まれる発言をするほど、何か食べて不調になったことがほとんどない。なのでこのくらいのことでも少しは衝撃なのです。いやぁ、歳をとったのだね。
久しぶりの友人に会って離婚話の詳細を聞く。離婚した直後の女性特有のきらめき(彼女で初めてだけど)を見た気がした。えらくポジティブで、私といろんな意味で正反対すぎて面白い、を飛び越して笑いすぎた。異性の好みの話をしても、何から何まで共通点がなさすぎてもう笑うしかない。ぽっちゃりが好きと言えば、痩せが好き、だとか、ちびっこが好きといえばのっぽが好き、とか。違いすぎて楽しい。唯一合致したのが毛はOKだということ。「ベックの胸毛いいよねぇー」って、ベックならなんでもいいだろ!
I saw you...というジンを購入。グラスゴーでもよく読んでいたけれど、地元雑誌や新聞に「あなたを昨日の6時ごろ、hillhead駅で見かけました」みたいなメッセージを載せて、コンタクトをとれる仕組みになっている伝言板。ジョークで載せたりすることもあるけれど、読むとけっこう面白い。I saw youコーナーにありそうなテーマでいくつものコミックを集めたアンソロジーです。Peter BaggeやJeffery Brownなど大物?の寄稿もあり、面白そうすぎて読み始められません。ここで大発見! 日常エッセイ漫画CLUTCHの作者も寄稿していることは知ってたものの、コントリビューター欄を見てもClutch Mcbastardの名前がない。漫画で探してみると、彼の本名はGreg Means君であることが判明!どうりでクラッチの顔が見たいとネットで探しても出てこないわけだ。最後のCLUTCHからもう何年も次号がでてないけれど、ほかではちょこちょこ顔をだしていそうです。2009年最新版の絵が見れました。この人のめがねのつるの描き方がいつもおかしいと思う。
本名が分かったのでさっそく調べてみると、あっけなくこんな写真が。想像していたよりもはっきりした顔の人だった。漫画で書く自分とけっこう似ている。顎から首にかけてがそっくり。
左がクラッチで、右はクラッチと同じくリルマグで扱っている(品切れかしら?)ジン、PHASE#7の作者Alec Longstreth。この人のサイトがえらいかわいいので見てみてね。
アレックのブログで、ジン祭りSPXで行われるIgnaz Awardというコミック界のアカデミー賞みたいなもので、私が一番気に入っているアンソロジー、Papercutterが受賞したことに触れてあり、1〜5巻までをなんとクラッチが編集していたことを知った・・・。本名を知らなかったので、まさかクラッチがあれを作っていたなんて、すごく見直した!(いや、前から好きだけど)。クラッチの漫画のなかで、彼がジン作りに明け暮れすぎて自分の首を絞めてるよ・・と嘆いているけど、いったいほかに何を作ってるの??といつも不思議に思ってたのだった。宣伝してくれればいいのに!!考えたら、Papercutterもクラッチも同じTugboat Pressから出版されているんだった。
CLUTCHは現在行われているSweet Dreamsのスイート・ワールド展でも閲覧できます。先日行ったのですが、広いミニマルなスペースに私らだけで、ソファに座ってしばらくむっつり読みふけりました。141を買うのを忘れてしまったけど、どこかで手に入るでしょうか。青山なので、周辺をぷらぷらしていたらギャルソンにうっかり入ってしまい、素敵かつaffordableな(!)ジャケットを見つけてしまう・・。まずいなー。