ダニエル・クロウズ「ザ・デス・レイ」発売

 ダニエル・クロウズの邦訳の最新本、ザ・デス・レイが発売されました。中綴じ(背表紙なし)のソフトカバー、というか、カバーもなし。いわゆる従来のぺらぺらのコミックブックの、紙がしっかりしてるバージョンです。頼りないといえば頼りないフォーマットなのに(その分、安いよ)、なぜこの形で出版されたかというと、この作品が発表されたオリジナルのフォーマットに合わせているからです。形だけでなく、紙から色調から、可能な限りどこまでも元のコミックブックを再現している。なんてことは商品情報に書かれてないし、そもそもコミックブックなので、部数が限定されてるうえ、日本ではごく一部の人しか手に入れてないはずなので、どうしてもネタバレ?したくなり・・。


 まず表紙。オリジナルは2004年発行の、ダン・クロウズのコミックブック・シリーズ、Eightballの#23なので、このときにはDeath Rayというタイトルはついてない。このタイトルができたのは、2011年にDrawn & Quarterlyからハードカバーで復活したとき。下の写真が表紙だけど、こちらはちょっとダサい・・。 ちなみに、ダンは#23以降、このフォーマットで作品を発表していない。オルタナにおいて、コミックブックが少なくなっているあたりは、以前に書いた記事を。

左:オリジナル 右:邦訳


2011年の復刻版


中身は、写真のようにグリッド状だったり、2ページブチ抜きのイラストだったり、2色刷りだったりフルカラーだったりと、いろんなスタイルを使ってストーリーが進む。このページは、文字がうまいこと入ってるなあ。


 オリジナルの裏表紙には、バークレーの住所がまだ書かれている(現在はオークランド)。邦訳本のクレジットは、もちろんダンによるレタリング。値段の後ろの吹き出しに書かれてる文章は、オリジナルも全文見えないけれど、ちゃんと訳してある。

 見事な完コピ(賛辞!)であり、オマージュになっているのが分かるでしょうか。デス・レイは、特に色が好きだったので、ここが再現されているのが嬉しい。

 内容は、プレスポップの商品情報や、キングジョーさんによる解説をぜひ。オルタナの雄、ダン・クロウズがスーパーヒーローを描いたらどうなるか?という、ファンにとってちょっとどきどきするネタだったけれど、かなり現実的な展開。元々内気な少年が、タバコを吸うことによってスーパーパワーを手に入れる。唯一の親友と、周りにいる、非常識でムカつく人間をデスレイで消していく。最初のころはパトロールのつもりで、街に出ては知らない人間もターゲットにするけれど、決して世間に知られるまでの派手な行動はしない。デスレイは手放して、元々の人間嫌いの傾向を助長しながら中年男になる。もし本当にデスレイがあったら、現実的にこうなるだろうな、という意味で、全くドラマチックじゃない。ダンの作品の語り手はほぼすべて厭世的で人間嫌いだ。彼らのような、一般的に好ましい人物ではない人が、淡々と本音を独白するというスタイルで、かつ、最終的に人間として成長するわけでもないのに面白く読めるのは、小説や映画では実現しにくいと思う。ポップなコミックだから、むき出しの黒い本音が中和されるという意味で、漫画にしかできないことかもしれない。

 邦訳を読んで気づいたのは、ああ、だからこの手の作品はグラフィック・ノベルと呼ばれるんだな、ということ。英語で読むと「ノベル」を意識しなかったけど、日本語だと、「ノベル」感が強い。これはあらたな発見だったな。

オリジナルを手に入れた2004年当時はグラスゴーに住んでいて、オルタナのコミックブックが買える店がなく、ストックホルムに旅行で行ったときに買った。一応コミック店を調べてはいたけど、ぶらぶら歩ける範囲に3つもコミック店があったストックホルムは良い街です。
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カナダのコミックがやってくる



 来月11月18日に、海外マンガフェスタが開催される。コミティアと同時に行われるこのイベントに、カナダのコミックフェス、TCAFの主催者がブースを出すので、とても気になってる。彼らはトロントにあるコミック店、The Buguilingも経営していて、去年トロントに行ったときにもちろん寄ってみた(ブログ)。わりとコアな店だったなぁ。
 カナダのコミック、といってもピンとくる人はほとんどいないと思われるけど、モントリオールを拠点にしているDrawn&Quarterlyは、北米のオルタナ・コミック界ではここ何年か最も活発に動いている人気の出版会社。ブログをみてても、読者フレンドリーというか、いろいろとイベントや出版物についてレポートしてくれる。よくも悪くも、オルタナ・コミック界のヒップな位置にいるのかもしれない(コミック作家とヒップは相容れないけど)。カナダ人の作家も面白い人がいるし、コミック・フェスのTCAFは、行ってみたいフェスのひとつ。よく考えたら、アメリカにはいろいろな意味でビッグなスーパーヒーローものという産業があるから、オルタナはカナダが得意、でも全く不思議じゃない。もちろんアメリカのほうがオルタナは規模が大きいかもしれないし、D&Qはカナダだけじゃなく、多くのアメリカの作品も出版しているけど(ちなみに、これは多分大きかったんじゃないかと思うけど、ムーミンの版権も持っている)。ただカナダはフランス語圏もあるので、フランス語と英語両方で書く作家もいるし、ゆるやかな多様性があるような気がする。

 日本では誰も知らないと思うよ?という感じだけれど、それなら知ってもらおうじゃないか、とわざわざオルタナ不毛の地にやってくる彼らは、すごく攻めていて素晴らしい。まさか日本でオルタナコミックが並ぶブースを目にすることになるとは! 日本のフェスに参加する件に関して、様々なQ&Aを載せていて、読んでると面白い。東京は英語のサインもたくさんあるので、動き回るのには全く苦労しない、とあるけど、そうなんだぁ。それもここ10年ぐらいのことのような気がする。誰が行くのか決まってるかわからないけど、参加資格は、TCAFで出展経験があるカナダ人、らしい。カナダの文化振興の意図があるためだろうけど、国からの助成金があって、その関係でカナダ人しか連れて行けないのかも?去年サンフランシスコのフェスで、知り合った人から面白いよと勧められた台湾系カナダ人の彼、東京に来ないかしら。続きが読みたいんだけど!

 海外マンガフェスタ当日の夜には、渋谷パルコブックセンターで、トークショーもあるよ。
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「グラフィック・ノベルについて」:番外編 コミックブック最新事情

 前回まで、グラフィック・ノベルってこういうことかしら、と書いた。こんなの興味ある人ってどんだけいるんだろ・・・と思いつつ、もう少し書き足します。

 昨年10月にサンフランシスコで行われたAlternative Press Expoで手に入れた、エイドリアン・トミネのコミックブック、オプティック・ナーブ(Optic Nerve)に収録された近況漫画で、まさにこの話題について描かれているので、紹介します。

 以前は、薄いコミックブックを買って連載を読む、というスタイルが一般的だったのかもしれないけれど、昨今コミックブックを作ること自体があまり流行らなくなってきているらしい。続きが読みたくてうずうずしながら、不定期なコミックブックの新刊を待ちわびる・・のはちょっと現代のスピード感とは相容れないのは感覚としてよく分かる。最近では、コミックブックで連載せずに、描き下ろしのグラフィック・ノベル(単行本)として出版されるケースが多くなっているのだ。

 下の写真は、オプティック・ナーブの最新刊(12)に載っている近況漫画からの抜粋。ここで、コミックブックを続けたいエイドリアンが、友人で先輩のダニエル・クロウズの発言をラジオで聞いてがっかりする、という面白い場面。




 まわりの人から、グラフィック・ノベルやったほうが金になるぞと言われても、昔ながらのコミックブックが好きなエイドリアン。読者からのお便りページとか、手書きの広告とかが大好きだし、まだコミックブックをやってる作家もいるんだから、やれるだろうと思っていたところで、ダニエル・クロウズのラジオ発言を聞いてショックを受ける。「”フロッピー”(コミックブックのこと)なんて利益も少ないしすぐによれよれになったりして書店も置きたがらない。もうフロッピーなんてやめて、単行本を出すほうがいい」

 家族を養わないといけない身なんだし、格好つけてレトロを気取ってる場合じゃなかった!と苦悶するも、もう20年近く続けているし、毎号出すスリル(単行本より締め切りが多いから)を味わわないと自分がダメになってしまうな、と決心してコミックブックとして最新刊を出すことにする。

 新刊のサイン会をやるために書店に向かったエイドリアンに、客が声をかけてくる。客は、「コミックブック!こんな古臭いことをいまだにやってくれてる人間がいるなんて嬉しいぜ」、と言った後、買わずに帰ってしまう。「あとで単行本になったら、違法でダウンロードしてアイフォンで読むから!」

***

 ダニエル・クロウズが80年代末から始めたコミックブック、eightballは2004年を最後に新刊は出ていない。ここ数年単行本として出版されたのは、eightballに載っていた作品を除けば、新聞連載からと、描き下ろしだ。チェスター・ブラウンも、最近のインタビューで、描き下ろしをやるほうがいいと話している。もう少し若い世代の人たちでコミックブックを続けている人もいるけど、最初から全くやってなかったり、インターネットで連載していく作家もちらほらいる。コミックブックは不定期なので、新刊が出ると「待ってました!」と歓迎されているけれど、ひとつの作品の続きを読むのが半年後なんてこともざらにあると思うと、ファンには相当の忍耐が必要・・。ひとつの号で完結してくれればいいけれど。コミックブックで困るのが、発行部数が多くないので、品切れになってしまうこと。私も、4号で買い始めて、1号が手に入らないのでなんだか落ち着かない、という経験がある。単行本になるとしても、えらい先になると思うので、いつになったら最初から読めるのか分からない。海外に住んでるとなると、尚更分が悪いので、本当に、愛と忍耐の世界・・。

 でもエイドリアンの言うように、昔のeightballなどを読むと、手書きのジンを読むような感覚によく似ていて、愛着を感じずにはいられない。なんせ広告からお便りまで全て手書きで、お便りの内容も、いかにも熱いファンレターから苦情まで様々。そして仲間の有名作家から届いた手紙も載っていたりする。お便りの宛先は、eメールアドレスでも私書箱でもなく、普通の住所。まあ古き良き時代を懐かしんでいても仕方ないけれど、今見ると、本当に愛おしい宝物のよう。

 コミックブックは表紙も楽しめて、値段が安いから試し買いもできるし、少しづつ揃える楽しみがある。もし自分が北米に住んでいて、近くにコミック店があったらきっと買うと思う。といっても、時代の流れには逆らえないというか、少なくなっていはいくのだろうなぁ。

 日本国内にも、なんとこれらのコミックブックを販売している、book of daysというお店が新潟にあります。オルタナは単行本でさえ書店に置かれていることがほとんどないので、もうびっくりしてしまいます。紹介したエイドリアン・トミネのOptic Nerve 12も今見たら在庫切れだけれど、入荷したことがあるみたいです。私はまだ行ったことがないのでネットから眺めてますが、いつか訪ねてみたいお店です。

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「グラフィック・ノベル」について:後編

   


 前編では、グラフィック・ノベルは、単行本を指す意味で使われていることを書きました。ここまでだと、言葉の定義なんてつまらんなぁ、とだるくなってしまうので、2つ目の、内容のジャンルとしてのグラフィック・ノベルはどうなのか、に移ります。私もそうだったけど、文芸的なものをそう呼ぶのでは、というイメージを持っている人も多いと思う。しかしスーパーヒーローも、フォーマットとしてだけではなく、内容的にもグラフィック・ノベルと位置づけられているものが多い。
 コミックファンの中には、グラフィック・ノベルなんて、気取った呼び方は嫌だ!という人はたくさんいる。グラフィック・ノベルと呼ぶか、コミックスと呼ぶか、は一時よく話題になっていて、今でもたまにインタビューで質問に上がっているのを見かけるので、それなりに大きな関心事であることがわかる。このちょっとむずがゆい、グラフィック・ノベルという言葉はなぜ広まったのか、アメリカのコミックス事情を踏まえた背景から。 

 日本のように、おっさんが電車で漫画雑誌を堂々と読んでいたり、街中にアニメ調のイラストがあふれている国ではいまいちピンとこないけれど(まあ日本でも大人になって漫画に夢中な人は限られてはいるけど、そんなにバカにはされないよね)、特にアメリカではコミックスはガキの読むもんだ、というのがいまだに一般的な考え方なのだ。立派な大人にとってコミックスは、新聞に載っているので目を通したり、子供の頃にハマったスーパーヒーローで卒業するもの。50年代には、過激な犯罪・ホラーコミックスが子供のあいだで流行したことから、全米で抗議行動が起こり、出版社が自主規制をするようになった経緯があるのも影響している。コミックスは危険な読み物です!と声高に叫ばれた時代があった。また「コミックス」という言葉自体に、幼稚なもの、とるにたらないもの、というイメージがあるようだ。


   


 60年代のカウンターカルチャーの時代になると、ロバート・クラムなどがアンダーグラウンドコミックスと呼ばれるようになった、お下劣で政治的に正しくないネタだらけの作品を描き始め、それを読んで育った世代が80年代に今のオルタナティブの分野を確立してゆく。ダニエル・クロウズ、ピーター・バッグ、ヘルナンデス兄弟、チェスター・ブラウン、チャールズ・バーンズなどがその世代にあたる。彼らは、自身を題材にしたり、普通の街に住む普通の人々を主人公にした作品を生み出していった。従来のコミックスのように、単純なユーモアに走るでもなく、ファンタジーでもないリアルなコミックスがどんどん出てくる。

 アメリカのコミックス市場は日本よりケタハズレに小さいという。景気の良さそうにみえるスーパーヒーローものも、映画化が続いているのが影響しているだけで、長らく低迷していた(ハリウッドがネタ切れなだけ)。オルタナとなると、さらにさらに小さなマーケットということになる。前述したように、「コミックス」というと、なんだかしょうもないように聞こえてしまって、マーケットが広がらない。スーパーヒーローはガキっぽいと思っている大人にも、オルタナなら抵抗なく読めるだろうし、こんなに優れた作品がたくさんあるのにもったいない。グラフィック・ノベルという言葉はこの状況を打破するために使われるようになったと思われる。ノベルと名乗れば、まともな本だと理解され、間口が広がるだろうという、出版社や流通などのビジネスサイドによる販促戦略の一環、という側面がある。これはオルタナに限らず、スーパーヒーローものの業界でも同じだろう。アラン・ムーアウォッチメンなど、正義のために戦うだけにとどまらない、複雑なアンチ・ヒーローを描いた作品が増えてきた。



 といっても、そもそもグラフィック・ノベルという言葉を使い出したのは、コミックス作家たち自身だといわれている。たしかに、オルタナの作家には、コミックスが世間で真面目に受け取られない現実を嘆く人もいる。いかに優れていて、内容はシリアスで政治的ですらあるとしても、コミックスだとそんなに売れないのだ。この現状にフラストレーションを感じる作家がいても当然おかしくない。しかしオルタナの世界だからこそ、あえてグラフィック・ノベルという言葉に付随してくるスノッブさを嫌う人もいる。グラフィック・ノベルかコミックスか?論争は、詰まるところ、ノベルとか呼んで高尚ぶろうとしてる!とか、昔から馴染んだコミックスという言葉に愛着がある、などの情緒的な問題にもなってくる。ここは、現代のオルタナ・コミックス作家を代表しているといってもいい、ジミー・コリガンの作者クリス・ウェアと、映画化もされたペルセポリスの著者マルジャン・サトラピの考え方を聞いてみよう。




 2006年にラジオで放送された、グラフィック・ノベルという言葉について話している音源があります。といってもごく冒頭の部分だけで、この短い部分のみをyoutubeにあげている人がいたので発見した。グラフィック・ノベルという言葉についてどう思うか聞かれた二人。マルジャン・サトラピは、「コミックスのほうが好き。子供や馬鹿な大人が読むのはコミックスで、そうでないものはグラフィック・ノベルと呼ぶなんて変。シュワルツェネッガーの映画もジョン・フォードの映画も、全て映画って呼ばれてるじゃない?」と話している。
 クリス・ウェアいわく、「コミックスと呼ぶ方がずっといい。コミックスが元々はくだらないものだったことを隠そうとしたりしないから。グラフィック・ノベルなんていうと、チャタレイ夫人の恋人なんかを思い出してしまう。パーティーやスーパーなんかで人に会って、相手が僕のやってることを知ったとき、『コミックスとか・・小説かなんかのアーティストなんですか?』とか、すごく言いにくそうに聞いてくるんだ。まるで人種差別的なことを口にしちゃいけないと思ってるみたいに。今どきの、不快感を与えない言い方ってなんだろう?、とびくびくしてる。グラフィック・ノベルは『今どき』の言葉なんだろうね」

 ここで二人が話しているのは、グラフィック・ノベルという言葉によって、コミックスを真面目なものと、俗っぽくて面白可笑しいものに分けてしまうことのナンセンスなのだと思う。中東潜入レポートも、遅漏で悩む青年の話も、すべて同じくコミックス。どんなストーリーでも、絵と吹き出しで語ることによって自由な表現を得られるのが、なんといってもコミックスの強みだから。
 作家にもよるけれど、コミックスを描く人たちは、グラフィック・ノベルと呼ぶことで、作品をあんまりシリアスに受け止めて欲しくないとする傾向があるように思える。クリス・ウェアが、コミックスってもともとくだらない要素もあるんだから、と話しているけれど、彼のジミー・コリガンを読むとよくわかる。ジミー・コリガンは、コミックスなのに壮大で非常に文学的だとされている。それはそうだけど、同時にいかにもコミックスらしい間の抜けた笑いもふんだんに含まれているのも見逃せない。あのアウシュビッツをネタにしたマウスでさえ、一番印象に残るのは、父と息子のスレ違いから生まれる滑稽さだったりする。ダニエル・クロウズは、ゴーストワールドを読んでブルーになったと読者から言われることについて、あれはものすごく笑える話なんだけどね、とコメントしている。
 どんなストーリーでも、コミックスってのは基本的には可笑しいもんなんだから、ノベルなんて言い方しなくてもいいんじゃないかな、というところでしょうか。

 一方で、グラフィック・ノベルが浸透したことによって、より多くの人々の関心をひくことができたのかは、よく分からないけれど、少なくとも、コミックスといっても色々あるんだな、ぐらいの認識は広まったんじゃないだろうか。実際にセールスがどれくらい伸びたのかは分からないけれど・・。ちなみに、ごく最近のダニエル・クロウズのインタビューで、グラフィック・ノベルについてまた聞かれているのを読んだ。昔は嫌な呼び方だと思っていたけど、最近ではもうなんとも思わないよ、とあっさり答えている。それだけ根付いてきたということで、言葉なんてそういうもの。今では、もう誰もあまり気にしてないのかもしれないけれど、クリス・ウェアとマルジャン・サトラピの発言はもっともだよなぁ、と納得するのです。


***


日本語の資料

実は日本語で得られるコミックスについての本は少なくて、オルタナになるとさらに厳しい・・。古くから日本に海外漫画を紹介している小野耕世さんの本が一般的だと思いますが、ここでオススメするのは、
STUDIO VOICE 特集:”アメリカン・オルタナティヴ=コミックス”集成
2002年1月 vol.313
です。知る限りでは、80年代以降の北米のオルタナ・コミックスについてきちんと書かれている出版物はおそらくこれだけです・・。古本屋やネットで探してみてください。
ほかにはちょっと内容は古いけれど、ザ・ヒストリー・オブ・アメリカン・コミックス(DVD)も面白いです。スーパーヒーローだけでなく、オルタナもカバーしています。


*コミックブックの最新事情について、次回に持ち越し・・。
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「グラフィック・ノベル」について:前編

 グラフィック・ノベル(ノヴェルかどうかはさておいて)という言葉が定着して随分経つけれど、やはり今でも、何それ?コミックスとどう違うの?という発言を見かける。(ネット上で、ごくごくたまに)。グラフィック・ノベルといっても実際は明確な定義があるわけではなくて、要は普通のコミックス。日本で漫画を漫画と呼ぶように、北米では総称としてコミックスと呼び方があり、コミックスの中で、一部グラフィック・ノベルと呼ばれるものがあるという感じ。

 私が最初にグラフィック・ノベルと聞いてイメージしていたのは、ユーモア・冒険・犯罪・ホラーといった昔からあるコミックのスタイルとは一線を画す、文芸寄り、あるいは時事問題を扱ったもの。つまり、完全に成人をターゲットとしたストーリーのコミックス 。「コミックス」と呼ぶにはいまいちそぐわない作品が次々と出てきたことで、新たなジャンルを作り出す必要があったのかな、ぐらいに思っていた。アート・スピーゲルマンによる、父親のアウシュビッツ体験を描いたマウスはその典型だ。そしてスーパーヒーローは、グラフィック・ノベルじゃないのだろうと思いきや、出版社などのサイトを意識してみてみると、スーパーヒーローものもグラフィック・ノベルにカテゴライズされている。


 グラフィック・ノベルという言葉は、大きく2つの使い方をされている。1つ目は、フォーマットを指す呼称として。2つ目は、内容によって区別されたジャンルとして。ただしどちらも、特に2つ目に関しては当然グレーゾーンがあって、とても曖昧。このあたりが、グラフィック・ノベルってなんなんだよ!と言われる所以でもある。
 コミックスといってもジャンルによって事情が違うと思うけど、私はアメコミはよく知らないので、ここでは主にオルタナティブ・コミックスの世界を見渡してみます。こういう話ってどうも用語の概念とか、ややこしくなりがちなので、まあ結局こんな感じだろう、ぐらいの個人的な印象として書いています。

*ここでは、グラフィック・ノベルという言葉の出自については触れていません。こんな記事もあります。あと、北米の漫画を「コミックス」と書いているのは、ややこしいけれど、漫画というと、北米では独立したジャンルになっている、日本漫画の「MANGA」と被るので、避けました。


***


 まず1つ目の、フォーマットの区別としてのグラフィック・ノベルという呼び方。私は今ここで書こうとするまではあまり意識してなかったけれど、薄っぺらいコミックブックに対して、ソフトorハードカバーの本を「グラフィック・ノベル」として分けているところもある。例えば、バットマンを擁するDC COMICSでは、comicsはコミックブック、graphic novelsはソフトorハードカバーの本(以下、単行本)と大体分けて置かれている。つまり、背表紙のある単行本として出版されたコミックスをグラフィック・ノベルと呼んでいることになる。
 では、その薄っぺらいコミックブックって何? 以下、日本にはないコミックブック(comic book)について少し説明します。



 日米の漫画で違うのは、このコミックブックの存在。日本だと漫画雑誌がたくさんあって、そこで連載された作品が後に単行本になるけれど、向うでは日本のようなスタイルでの漫画雑誌にあたるものがない。しいていえば、出版社が編集した自社作品のショウケースの役割を果たすアンソロジーがあるくらい。でもこれは非常に細々とやっていて、連載でもないので、やはり日本の漫画雑誌に匹敵するものではない。
 コミックブックは、一人の作家が1つ、あるいは複数のストーリーを収録した30頁程で3ドル前後の冊子というスタイルが一般的(現在では紙質も良くなって、4〜6ドル前後)。これが数年シリーズ化して連載され(不定期)、後にその中の作品が単行本としてまとめて出版される。例えば、ダニエル・クロウズゴーストワールドは、eightballというコミックブックで、他のストーリーと並行して連載されていたもの。
このような薄い冊子であるコミックブックに対して、単行本を区別するためにグラフィック・ノベルという言葉が使われているというのがひとつ。

 ちなみに、DCではわりとはっきりとコミックブックとグラフィック・ノベルを分けていたけど、スパイダーマンを擁するMarvelになると、グラフィック・ノベルという単語が見当たらず、単行本を含むすべてをcomic booksとしている。この辺は社風なのかもしれない。

 オルタナ系出版社になると、この分け方はもっと曖昧になってくる。comic booksに単行本が入っていたり、graphic novelsに薄いコミックブックがあったりする。これはフォーマットだけでなく、内容的に区別する意味もあって、2重になっているものと思われるけど、もうだんだん、どっちでもええわ、って気になってくる・・。
 大手のFantagraphicsでは、グラフィック・ノベル以外に、newspaper stripsのコーナーがあって、こちらはいかにもコミックスといった昔の作品が並ぶ。また、ニューヨークタイムズのベストセラーランキングでは、すべてgraphic booksという括りになっている。ニューヨークタイムズみたいなちょっと高尚な新聞はコミックスという言葉は使わないのだろう。そもそも、ここでベストセラーとして登場するコミックスに、内容的にグラフィック・ノベルと呼べないようなタイプ(下品でアホなやつ)の作品は挙がらないだろうから、ここでは呼称はあまり意味がないかな。ただ、「ノベル」という言葉を外しているのは意識的にやっているのかもしれない。
 こうして見てみると、厚い本だからグラフィック・ノベルで、薄いのはそうじゃない、とは言い切れないけれど、まあそういう傾向があると認識はされているという感じ。

*コミックブックについては後に補足があります。

後編(グラフィック・ノベルのジャンルとしての位置付け)へ続く。
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ベルセバジンを少しご紹介

(Japanese) Fans Onlyは、Lilmagさんで取り扱ってもらっています。


ベルセバジンの目次をご紹介。

・言いたい放題チャット
・イントロ
・スティーヴィーの憂鬱
・椿野未夏ちゃんのスウェーデン話
・かおりちゃんのディテール満載のツアー日記
・In A Town So Small(まんが)&おっさんを讃える短いノート
・おっさんギャラリ〜
・tsucciさんの「ベルセバに関する、パッとしない私の体験談」
・This is Glasgow ベルセバゆかりの地案内図
・部屋とベルセバとわたし
・私家版ベルセバ曲BEST10
・tsucciさんとriceさんによる、ミックのメールインタビュー
・あとがき
(特に記載のないものは私です)

私のほかに、4人のベルセバ仲間も寄稿してくれました。作るときに、自分のだけじゃつまらんなーと切に思った(他の人のが読みたい)ので呼びかけたところ、手を挙げてくれた人たちです。おかげで中身がカラフルになりましたー。まとめてみると、みな2001年〜2004年の出来事に集中してるのが納得しすぎ! もはや昔話、ですねぇ。

わたしの下手すぎる漫画や地図、表紙にはファンならわかる仕掛けをしてみたけど、気付かれるかなぁ・・。今みると、漫画はちょっと伝わらないかもという気がしてきた・・。
案内地図はいろいろやりだすと収集つかなくなりそうなので、我慢する。載ってる地図は、実際フラット探しなどで使っていたグラスゴーのA to Z(定番地図本)です。
っていろいろ説明するのも野暮なので、といいつつ、表紙だけはやりたい!


 

表紙には昔の(重要!)ベルセバの写真を使おうと思ってたのだけど、タイトルをパクってるから、どうせなら全部パクる・・と思い立って、トレーシングペーパーで写した。ちなみに、FANS ONLYはベルセバのオフィシャルDVD。ラフトレードに移籍する以前、Jeepster時代のPVや、テレビ放送した映像、昔のライブもろもろ、まさにファンのために編集された素晴らしい(おもろい)内容。まあ、こんなにゆるくていいのか?とずっこけそうな映像も多いけど、彼&彼女ららしい、正直で素朴に作られたDVDです。

以下変更点:
・写真は、スチュアートが自分の嫁(当時は嫁じゃなかったけど)を撮影したもの。もちろん嫁のままじゃイヤなので、髪を描き足して日本人ぽくしてみる(おかっぱしか描けない)。
・写真だと裸だけど、日本人はパンツ一丁でアイロンかけしたりしないのでタンクトップを着せる(今気付いたけど、履いてるのはパンティーでした)。
・写真ではfans onlyと題された本を読んでる設定だけど、それじゃ芸がないので、シニスター表紙でキアラが読んでる「審判」にしてみた。

けっこう濃いめのファンジン、になってるのかどうかわからないところだけど、ベルセバをちょっと聞いたことがある、くらいの人でも楽しめると思います。わたしたちの生活にベルセバはどんなふうに関わっていたのか、楽しい話、困った話。

しかし、こうやって仕上がると、昔ベルセバに夢中だった仲間たちとの思い出を共有できる、いいパッケージになったなぁと思う。ひとつ、形になった。なんて言えるのも、やっぱり私たちの中でどこかベルセバがoverだからなのかな、ってことになる。うん、こういうのも悪くないのです。
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フランスは(気が)強い

私生活漫画を描くJulia Wertz。コミックがフランス語訳で出版されたのをきっかけに、サイン会のためにパリに行くも、フランス人からのコメントがあまり好意的でないものが多くて困惑する。言葉の違いのせいだといいんだけど・・。
もし読みづらかったらこちらから。


たしかにズケズケ言われている。アメリカでもこういうことって時々はあるかもしれないけど、日本となるとまずありえないだろうな。フランスに住んでいる人のコメントには、フランス人ってそういうものなのよ、とある。大抵辛口なことばかり言い合ってるし、そういうふうにしつけられてるの。どんなにがんばっても、満点はもらえないのよ。悪気はなくて、弱点をついたり欠点をあげつらうのは、そうすれば人はもっとがんばるようになるからだと思ってるからなの。

思い返してみると、今まで会ったフランス人たちは、率直にモノを言う人が多かった(悪口も多い!)。そんな彼らとはすごく話しやすかったなぁ。はっきり言うから面白いし、ウラがないというか、こちらも気楽。スウェーデン人もその気があったかなぁ。個人差を超えて、の話ね。考えてみると、アメリカ人は大げさに褒める傾向があるし、褒めることで伸びる、って方向よね。まああんまり、何人は〜って決めつけるのは危険だけれど、ある程度特徴ってのはあるわけで。日本人は(これで始まる文章が一番危険!)どうだろう。当たり障りのないことを言う、かな。はっきり言うと、ディスってるように聞こえるし、結果、ふわふわした発言が増えるのだ・・と普段からきーってなる。文化なのだからしょうがないけど、退屈じゃのう。

しかし、ズケズケ言われて戸惑うアメリカ人って絵が面白いな。なんていうか、フランスってやっぱり近代文明において先頭をいった国、なので、なんとなくフランスにはどこか気が引けてしまう感情って、アメリカだけでなくイギリスにもあるような気がする。ドイツにはないかもしれないけど!
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North America 2011 : San Francisco Alternative Press Expo:2

サンフランシスコでのAlternative Press Expoの続き。

初日の土曜日は、ダン・クロウズとエイドリアン・トミネのトークセッションと、サイン会が山場。この二人については、知り合いの人からいろいろ話を聞いたり、インタビューをネットで聞いたりしてたので、人となりはなんとなく想像がついたけれど、なにしろ初めて会うので楽しみ。



Picture BoxのDan Nadal氏が司会進行するディスカッション。ダン(中)とエイドリアン(右)は、エイドリアンが結婚してNYに引っ越すまでは、同じくベイエリアに住んでいて、昔からの知り合いなので、気心知れた者同士のリラックスした雰囲気。エイドリアンがダンの影響をかなり受けているという声もちらほら聞こえるけど、たしかにエイドリアンのOptic Nerve最新号に掲載されているAmber Sweetは、ダンの昔の短編、Mona Beadleを思い出させる内容だった・・。エイドリアンは静、ダンはポップ、というスタイルの違いはあるけれど。

観客からの質疑応答では、エイドリアンの問題作?、Shortcomingsの主人公であるベン田中は、エイドリアン自身がどのくらい反映されているか?という質問がでた。Shortcomingsは、エイドリアンいわく、主人公に対するバッシングのコメントをよくもらう、とのこと。日系アメリカ人であるベンは同じく日系のミコと付き合っているが、しっくりこない。白人女子と付き合ってみたいと浮気心を持ってるくせに、ミコがキャリアアップを目指してNYに旅立って、白人男と付き合うようになったのを非難する。どうにもねちゃねちゃとしてイヤな男で、とにかく共感できない。彼の親友である韓国系のレズビアンがクールなサイドキックの役割を演じていて、彼女がいなければかなり読みづらい・・といった内容。
エイドリアンは、もう同じ質問を何度も聞かれているだろう様子で、僕とベン田中は全く別の人物、と一蹴していた。でも、質問した男の子自身もアジア系アメリカ人とのことで、もっと詳しく聞きたかっただろうけど、エイドリアンはあまり多くは語らなかった。見た目は100%アジア人だけど、中身はアメリカン、となれば、微妙な立場だろう。いくらアメリカで生まれ育っても、家庭環境によってはアジアの価値観とも葛藤しなければいけない。Shortcomingsでは、二つの文化の狭間に生きる若いアメリカ人の恋愛観が生々しく描かれているのが面白い。

ダンのほうは、ファンレターについて話していた。その昔は、毎日ダンの家のポーチに座り込んで動かない女の子がいたそうな。夜11時ごろになったら帰るのだけど、また次の日もやってくる、っていう今で言うストーカー。ダンが80年代後半から、2004年まで発行していたEightballというコミックブック(薄い冊子で、3〜4ドルほど)には、読者からのお便りコーナーがあって(いつのころからかなくなってたけど)、そこに私書箱ではなく、自宅の住所を記載していたのだ。最後の号を確認してみたら、やはりバークレーの住所が書いてある。これが自宅かは分らないけれど。最後の号、と書いたけど、宣言はされてないです。ただ最近のインタビューで、もうコミックブックは時代遅れだろうと話していたので、あんまやる気なさそうで寂しい・・。
ダンの話しに戻ると、今はネットが普及したから手紙も少なくなった。ネットのない時代には、まわりに友達のいないような孤独な読者は、自分になら分ってもらえるだろう、と思い込んでいた人も多かったみたいだ、と。コミュニケーションの濃い時代・・。

エイドリアンはぼそぼそしゃべる一方、ダンは毅然とした態度で、的確に話すのが印象深い。余裕を感じる〜。オルタナティブの世界では、やっぱりダンは大物、という風格。
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North America 2011 : San Francisco Alternative Press Expo:1

この旅のそもそもの目的、というかなぜこの時期にしたかというと、サンフランシスコで行われるAlternative Press Expo(APE)に行くためだった。今年はダン・クロウズとエイドリアン・トミネがやってくるというので、ちょうど良かったのだ。そして毎年ブースを出している、愛読漫画CLUTCHの作者も参加するとなれば、行くしかない!

APEを簡単に説明すると、独立系出版社や個人が作る漫画に特化したコンヴェンション。ほとんどは北米各地からの参加で、ブースは300くらい。2日の開催期間中に、いくつものトークイベントも組み込まれている。行ったことないので分らないけど、日本でいうとコミティアとかコミケに近いのかな。アメリカでおそらく最も規模の大きいサンディエゴのコミック・コンのように、巨大な会場に参加者がすし詰めというのではなく、空っぽの工場跡にテーブルが並んでいるといった雰囲気で、そんなに混んでない。ビッグサイトのイベントなどを想像してたら、良い意味で裏切られた。場所はユニオンスクエアからそれほど遠くないけれど、バスで行くのも面倒なところで、あまり人気のないエリアみたい。有難いことにユニオンスクエアから無料のシャトルバスが走っていた。快適すぎるくらい快適。







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ベルセバのファンジンできたよ&Zinester Gathering

Belle and Sebastianのファンジンを作るぞ!と公言してから3年近く経ってるかもしれないけど、やっとこさ出来あがりました。随分前から原稿をもらっていたのに、こんなに時間が経ってしまい、ごめんね。今日行われたZinester Gatheringをデッドラインに設定したので、年内に仕上げることができました。

東西のベルセバガールズたち向けには、もうひと手間かけようと思ってるので、もうちょい待ってね。

コピー機と格闘した末、あとは製本を残すのみ。ジンを作るのに、何が楽しみだったかって、この製本作業なんよね。友人の家に押しかけて作業開始。



妊婦の友人をこき使う。






といっても30部しか作ってないので、あっちゅうまに出来ました。
作業後、バニラアイスのせイモパイと紅茶をごちそうになる。




自分の写真だけ細工してごめんね。

***

さっそく会場の桜台poolへ。万置きコーナー(万引きならぬ、万置き。もってけドロボーコーナー)に置こうとしたら、友人に止められる。たしかに、興味ある人に読んでもらったほうがよいし、もったいない気がしてきた。



ジン吊るし場所。

会場は地下1階と2階で、バイクが置いてあったりして、普段何に使われているのかわからない。物置? 音が出せる部屋もあって、ライブもできる。



ブースだしてる人たちはずっとこの姿勢はつらくないかな・・と思いつつ。ちょっと居場所に困ったけど、殺風景な雰囲気は嫌いじゃなかった。高橋源一郎の息子くんがその場でなんか書いてたりして、ついでに父親の本も置いてあってびっくりした。



貰ってもらった私のジンを眺めるTeam Kathyのダーティーさんと、なみちゃん。わお。

私が東京でジンに関わる人たちで知り合ったのは、LilmagやTeam Kathy周辺の人たちなのだけど、みんなすごいの作ってるので、まだ知らないあなたには、強くオススメします。ライオットガールや90年代の米ノースウエストあたりがお好きな方は特に。Lilmagは欧米日本のいろんなジンが並ぶ特殊ネット書店です。きっと好きな1冊があるはず!

今日、ジン吊るし場に吊るしてあった漫画で、読んでみたら笑っちゃったので買ったのは、なでなでろうさんの「シオモニ」という漫画。義母との韓国旅行記なんだけど、こういうの好物〜。

ライブもちょっと観た。mmmはやっぱりいいねぇ。
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