Run Christian, Run

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最近観た映画:The Artist


アーティスト The Artist

舞台はハリウッド。サイレント映画の大スターが、トーキーの登場によって没落していく哀愁劇。(ほぼ)全編サイレントなので、さぞ音楽も映像もちゃかちゃかしてて楽しそうだと思ってたけど、途中から、あの時代へのオマージュとはいえ、全編サイレントである必要があるのか??という気がしてきた。画が普通のドラマなのよね。正直かなりだれてくる。ジョン・グッドマンの声が聞きたくてうずうずしてしまった。でも主演のジャン・デュジャルダンの、二枚目だけどなんだか安っぽい感じがとてもチャーミングだし、ちょこちょこ面白い場面もあった。もうちょっとコミックにしてもよかったかなぁ。相手役の女の子がちょっと物足りない。身ぶりの大げさな、サイレント映画っぽい動きとダンスはかわいかったけど。



でもまあ忠犬アギーがいるからだいぶカバーされてる! 本当に芸のできる犬。ジャック・ラッセル・テリアって、私が子供のころは全く見かけなかったので、新しい犬種なのかと思ったけど、ヨーロッパには昔からいるらしい。日本では糸井重里が飼ってるので有名になったのか。ジャック・ラッセルは気まぐれで暴れん坊というので、両親が犬を飼うときに候補になったけど外れた。SATCでもシャーロットが飼い始めたけど大暴れしてたね。
アギーが主人のために全力疾走するシーンに萌え萌え。大満足。

しかし主演2人はフランス語人で、それ以外のおもな登場人物は英語圏人てのは何か理由があるんだろうか。
去年LAに行く前に、予備知識としてハリウッド・バビロンを読んだ。サイレント時代の黄金期ハリウッドで働く映画人たちのぶっ飛んだ生活も紹介されている(多少誇張含む、らしい)。この本で、サイレントからトーキーに移行する時期には、喋らせたらヒドいのでトーキーになった途端食えなくなった俳優もいたことを知った。大恐慌下、悲惨な末路を辿った映画人が多くいたことも踏まえて観ると面白い。
チャールストンがじっくり観られる映画がとっても観たくなる。

このシーン素敵ね。


***

ジャン・デュジャルダンの愉快映像。ヨーロッパ人俳優は大作映画の悪役をやってブレイクするのよ!と言われてオーディションを受けまくったら年に50本も出なきゃいけなくなってさあ大変。コメディ系のほうが実際は合ってそうけど、言葉に難ありだとアメリカのコメディは難しいのか・・。アカデミー賞での映像観ても、英語はそれほど堪能そうじゃなかったしなぁ。でもまたほかの映画でも観たい俳優さん。

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最近観た映画


ティーンエイジ・パパラッチ Teenage Paparazzo

ハリウッドに住んでいたらそういう道も見えてくるものかな、と思わないでもない。タイトル通り、14歳でパパラッチ稼業に目覚めた少年を追ったドキュメンタリー。異色なのは、彼に密着するのが、テレビドラマで人気が出た若い現役俳優だということ。パパラッチに日常的に追われる側の人間が、逆にパパラッチに混ざって潜入体験する。
少年はほんとに子供なので、まだ同業者と良い関係を保てているようだったけれど、当然足の引っ張り合いをしたりして、駆け引きや小競り合いもある。意外に肉体的に危険を伴うもので、押し合いへしあいして車に近づいたり、夜中の3時にクラブの前で出待ちしたりと、とても子供がいる場所ではない。でも別の家に住む母は、息子のやりたいことを尊重して、携帯でこまめに居場所を教える条件で外出を許している。

映画は、なぜ人々はこんなにセレブの動向に夢中になるのか?という疑問を投げかけてくる。家族や友人との人間関係が希薄になり、むしろセレブのほうが身近に感じてしまうと話す専門家がでてきたけど、まあそういうことなのかな。ただ、なぜかアメリカとイギリスは際立ってセレブ報道合戦が激しい気がする。

監督である俳優は、永く付き合っているうちに、だんだんこの少年の行く末が心配になってきてしまう。有名人だけど、わりと気のいい兄ちゃんなところが面白い。インタビューされる有名人の中に、パリス・ヒルトンも出てくるのだけど、マット・デイモンみたいに真面目に腹立てたりせずに、まあ彼らも仕事だからしょうがないんじゃない、と余裕の構え。さすが生まれながらのセレブ・・てか、本番撮られて流出してるんだし、もうどうでもいいってことか。




バブル Bubble

ガールフレンドエクスペリエンスのDVDに収録されていた短編映画。閉塞感漂うふつーの田舎町。人形製造工場に勤務する中年女性と若い男子は、なんとなく一緒にランチを食べて、言葉少なに世間話をする仲だ。おばさんは一緒に住む父親の介護をしながら、今の工場で働けることをまあまあラッキーだと思っている。男子も同じく実家に住んでいて、これという楽しみもないけれど、くさくさはしていない。そんなある日工場で若い女子が新しく働くことになった。3人でランチするようになったけれど、若者2:おばさん1の組み合わせはだんだんバランスを欠くようになって、バブルが弾けていく。
別段特徴のない登場人物ばかりで、会話も最小限かつ気の利いたセリフもない。それでも丹念に演出すればドラマチックになるというお手本のような佳作。全編に渡ってアコギの曲が流れていたのも、意外によく合っていた。




白い肌の異常な夜 The Beguiled

南北戦争の末期、南部にある小さな女子寄宿学校の生徒がサボって森の中を歩いていると、負傷した北軍兵士(クリント・イーストウッド)が助けを求めているのを発見する。北の兵士を見つけたら、必ず報告するように決められていたにも関わらず、院長先生はなぜか報告せずに、傷が治るまでは隠しておくことにする。すると院長先生をはじめ、若い女教師、性的好奇心旺盛な10代の少女たちは、次々に彼に欲情し始めるっていう、長い間荒野で戦ってきた主人公にとってはウハウハ天国に・・。かと思いきや、まるでアリ地獄に落っこちたかのように、アメを与えられながら、次第に動けなくなっていく。
クリント・イーストウッドって好きだと思ったことがまるでなかったけれど、これを見て初めて彼のセックス・アピールにまんまと気付いてしまった。誘蛾灯のように彼に吸い寄せられていく描写がまるで昼ドラで、なんだか安っぽく見えなくもない。でも、男手のいない時代のせいもあるけど、女は集団になると団結して恐ろしいこともやってのけるもの!

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シカゴのレストランで:日々困っていること

 シカゴで友人とアンティークショップのモールに行った。大きな建物内に服や雑貨家具などが無造作に並んでいるようなお店。そこで友人とばったり出くわしたので、みなでご飯を食べることになった。レストランの席について注文を考え、準備万端になっても、従業員がやってくる気配が全くない。ひっきりなしに通りかかるのに、誰も私たちのテーブルにオーダーを取りに来ようとしないのだ。連れたちは、目が合ってるのに来ないなぁとか、ここで働くのが嫌でしょうがない連中ばっかりなんだな、など呑気にしているだけで、決して呼ぼうとしない。私が、手上げて合図したり、直接声かければいいじゃんと言っても、誰もそうしようとしないのだ。結局苦笑いした挙句、店を出た。別段怒ってるわけでもなく、変なとこだったなぁ、しょうがない、どこに行こうか、と淡々としている。私はイギリスで飲食店でバイトしていたけれど、特に気づかなかったので、これはもしかしたらアメリカの風習なのか?と思い、後日トロントの飲食店で働いている友人に聞くと、たしかに直接呼びつけたりされることはあまりないそうだ。その代わり、アイコンタクトを必死にとろうと客は懸命なのだとか。

 一般的な風習ではなく、たまたま、私が一緒にいた人たちがそうするのを好まないタイプだったから、かもしれない。では、なぜ従業員を呼んでオーダーするのが嫌なのかなぁと考えてみた。1.自分たちは客なので、従業員が自ら進んでアクションを起こすのが当然だから、2.自分たちは客なので、従業員の行動に従うべきだから。比べるとちょっと似てるようにも思えるけど、おそらく2のほうじゃないかな、と思う。向こうでは、あらゆるお店、特にレストランはそうだけど、お客は、従業員が勝手知ったる空間に「お邪魔する」立場というニュアンスを感じる。日本では、お客は丁寧に扱われるので立場が上のような気がしてしまうけど、向こうのレストランでは、気さくに丁寧にしてくれてても、なんとなく、コントロールしているのは私たちです、という感じがする。向こうだと「あなたとわたしは対等」という態度が基本姿勢としてあるためだと思うけど、どんなお店に入っても、とりあえず店の人に挨拶をする。考えたら、誰かが所有している空間に入るのだから、当然といえば当然。

 と頭では分かっていても、日本でこれを実践するのはなかなか難しい。いらっしゃいませ、と言われたら、なんと言い返せばよいものか・・。店の雰囲気によっては、こんにちは、と言えるけど、そうでないことも多い。日常的に困っているのが、スーパーマーケット。イギリスではスーパーでもコンビニでも、何か買い物してお金のやりとりをしたら、サンキューと言う。癖がついてしまって、あるいは無言も居心地が悪いので、ありがとうございました、と小声で言ってみるのだけど、これもどうも収まりが悪い。イギリスではバスでも降りるときにサンキューっていうので(日本でもこれが習慣のところってけっこうあるみたいですね)、それも帰国してしばらくはやってたけど、もうやらなくなってしまった(東京だと前のドアから降りないしね)。すべては、アカの他人との接し方が、ある程度の上下関係を作らないとなんだかやりにくい、っていう日本人の性みたいなもんなのか。かといって、カジュアルにしてみると、なんだかエラそうに聞こえたりして、困るのよね。関西だともっと気楽だったりして、いいなあと思う。
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シカゴ:「風の街」とサイバー夜景

もう遠い過去のことのようだけど、シカゴのことを少しずつ。シカゴとNYは、断片的に思い出した時に書こうかなと思います。

シカゴに行ったら会いたいな、と思っていた人がいる。前の職場だった店のお客さんで、2度くらいしか会ったことはない女性。シカゴに留学していて、帰国していたときに来店し、修理でシカゴに発送したりしてやりとりが続いたのでよく覚えていたのだ。こっそり連絡先を控えていたなんて、昨今の個人情報保護の観点からいうとけしからんのだけど、思い切ってメールしてみたところ、快く会う約束をしてくれた。まあ自分でもよくやるな、と思わないでもないけど、気が合って、2日も遊んでくれた。シカゴで暮らす日本人、にも興味があったので、同世代なのもあり、いろいろ話を聞けてとっても楽しかった。

彼女はカレッジに通っていて、Oak Parkにあるホームステイ先に住んでいた。Oak Parkはシカゴのダウンタウンからだと1時間かかるかかからないか、くらいのちょっと郊外にある落ち着いた(犯罪の少ない)街。子供のいる、ある程度裕福な家庭が好んで住むようなところ。フランク・ロイド・ライトの家があるので、ちょっとした観光地でもあり、地球の歩き方にも地図が載っている。彼女に会う前日に、フランク・ロイド・ライトの見学ツアーに参加したばかりで、周囲を散歩していたら、周りにある家も豪邸ばかり。なんと彼女のホームステイ先の家は、その豪邸のうちの1つだというので驚いた。家が大きすぎて部屋が余っているのだろう。
ちなみに、彼女がホストマザーに、私に会うことと私の滞在先について伝えたところ、「そこは最近殺人事件があったじゃないの!お願いだから遅くなってもそこには泊まっちゃだめよ」、と騒がれたらしい。危険だ、危険じゃないの話しは人によって感覚が違うものだけど、オークパークのような、あまりシカゴっぽくない安住の地に住んでいる人からすると、友人宅のあるエリアはとんでもないところだったんだろうなぁ。友人は、危なくないけど、銃声はたまにする、と言う。まあ人によっていろいろですね・・。


ギャングが密会するダイナー

Oak Parkで待ち合わせて、そこからバスを乗り継いで、レストランに向かった。大昔、ギャングがひっそりと会合をするために使われていたという、何の変哲もないダイナー。座席の区切り方が、アメリカにしてはやけに小さいグリッド状になっていて、昔ながらな雰囲気。




がつがつリブを食う。
住人と一緒だと、こんなローカルなとこに連れてきてもらえるのが嬉しい。

そのあと、ダウンタウンに向かう。高いとこに登りたいなーとリクエストすると、ジョン・ハンコック・センターに行こうということになった。シカゴは3度目になるのに、ダウンタウンにある超高層ビル、ジョン・ハンコック・センターの展望台に上るのは初めてだった。いつも友人と一緒なので、そういうベタなとこは省かれてしまう。



シカゴのいいところは、内陸都市だけれど、海と見紛うほどデカい五大湖に面しているので、人口だけどビーチもあって、水の存在感もけっこう大きい。ちなみに夏でも水は冷たかった・・。


シカゴは「風の街」?

上ったのは夕方くらい。音声ガイドを聞きながら(日本語もあり)、展望台を歩いてまわる。シカゴはwindy cityというニックネームを持ってるのは聞いたことがあるかもしれない。シカゴは風が強いと言われている由来でもある。でもその音声ガイドによると、実際には他の都市と比べて風が強いというデータはないらしい。19世紀に万国博覧会をシカゴに誘致しようとした人々が、ライバルだったニューヨークを蹴落とすためにあることないことを吹聴してまわっていたとして、windy cityと呼ばれるようになった。windyは、口先だけの、という意味がある。ニューヨークは中西部の田舎の新興都市であるシカゴを小馬鹿にしてたってこと。
ちなみに、その音声ガイドでは、「冬になると今見ている景色は一変して白い世界になるので、ぜひ冬にもシカゴを訪れて下さい」、と案内していたのが可笑しかった。わざわざ極寒のシカゴに遊びに来る人もあまりいないと思うけど、友人たちは、冬も外に出なければ雪でのせいで明るくていいものだ、と言う。そう言われればたしかに明るいだろうけど、以前3月に来て、あまりの寒さに喫茶店に駆け込み、足がすくんで外に出られなかった経験があるので、やはり冬のシカゴは惹かれないなぁ・・。今回は10月半ばだったけれど、日中は半袖になるくらい暖かかった。私が来る前の週はもうダウンジャケットをひっぱりだしていたというので、気温差が半端ない・・。




マンハッタンのように密集せずに、なんだか伸び伸びと建っている感じ。ひとつひとつのビルが、これまた人間が作ったと思えないくらい、とてつもなくデカいのも、シカゴがどこまでも平らでだだっぴろい中西部都市なのだということを実感させる。

実は私はあんまり高いところからの景色とか夜景に興味がなくて、昔エンパイアステートビルに上った時のことも、あまり覚えてない。マンハッタンはほんとにぎしぎしに建てられているように見えて、意外に印象に残らなかった。つき合ってくれた女性によると、シカゴの高層ビル街は、建物の見え方を計算して作られているらしい。



そろそろ日没というとき、この赤い球が、ものの3分ほどでグングン地平線に飲み込まれていった。こんなの初めて見たので驚いたー。また大地がイヤんなるくらい、平らなの。私は子供の頃、部屋の窓一面に比叡山が見えるところで育ったので、山の風景が好きだし、東京は山も見えずつまらんと思っているのだけど、ここまで徹底して平らだとむしろ感動的。




昔初めてロンドンに行ったとき、到着間際でかなり高度を下げていた機体の窓から外を眺めて、あれ??ここは軍用基地か??と的はずれなことを思ったのをよく覚えている。早朝で、まだ街灯がついている道路を見て、滑走路のようだと思ったらしい。日本に帰国して真っ先に気づいたのが、日本の道の暗さだった。青白い弱い灯が不気味・・。それに比べてイギリス(少なくともロンドンやグラスゴー)の街灯はオレンジ色の強い光がこうこうと道を照らしている。夜カーテンを閉めずにいても、部屋がやたら明るい。この違いは防犯意識、というか犯罪率の高さによるものだと思うけど、とにかくシカゴの夜景を見て、あのとき基地だと勘違いした感覚がよみがえった。

特にシカゴは、中心部からグリッド状に大きな道が走っていて、ほんとにどこまでもどこまでも伸びている。なので、バスに乗るときは割とわかりやすい。例えば、泊まっていた友人宅からちょっと歩くとぶつかる大きな通りでバスに乗り、そのままひたすらまっすぐ行けば、その途中にいろんなエリアを通って、ダウンタウンに着く。
その大きくて長い通りが、平坦で広大な土地にぎゅーんと伸びていて、あまりに人工的に見えるせいか、、こうして上から見ると、どこかほかの惑星にいるような気分になる。シカゴは裾野が広いし、なんといってもこの単調でぺたんこの土地のせいで、ドデカイ宇宙船の上に築かれたサイバー都市、みたいな孤高でぽつねんとした雰囲気さえある。まあ普通の夜景、なのかもしれないけど、やはり日本人としては、アメリカのだだっ広さを目の当たりにして、ちょっと感動的だった。LAも平らではないけどだだっ広いので、似てるかと思いきや、シカゴのようにひたすら真っ直ぐに走る大きな道はあまりないので、やはりサイバー度はシカゴの勝ち、です。



シカゴの「地球の歩き方」

シカゴに行ったことがあるという友人はあまりいないのをみても分かるとおり、日本人にとって人気のある観光都市とはいえないだろう。多分一番多いのは、駐在員とその人たちを相手に商売をしている日本人というところかしら。地球の歩き方で紹介されているのは、せいぜいダウンタウンの高層ビル街の建築物と、フランク・ロイド・ライト、くらいのもの。地球の歩き方のような最も一般的なガイドブックは、当然、最大公約数の読者を想定して作られているので、ピンポイントで知りたい情報が載っていることはあまりない。それでも、それなりにトレンドに敏感な特集を組んでいたりするもので、驚くことがある。例えば、サンフランシスコのミッション地区は、割と広範囲な地図と店舗紹介が載っていて、意外にやるなあと思ったりしたもの。

それに比べてシカゴのエリア紹介と地図は、びっくりするくらいスタンダードの域を超えていない。もう何十年も同じ内容なのではと思えるほど。実は買ったことはなくて、毎度地図をちょこっとコピーして持っていくだけなのだけど、使えたためしがない。私は3度もシカゴに行ってるのに、いまいち地理を把握できてないのは、自分の行動範囲を示す地図をまったく見ていなかったことによるものと思われる。今回はさすがに一人でバスに乗ったり、なんといってもアイフォンで地図を見ていたので、ちょっとは改善したけれど・・。いつまでたっても地理がわからん!と言うと、シカゴの人は、シカゴは広いからな、と言う。人に連れられて動いていると、自分がどこにいるのか把握できないのも原因だけど、とにかく、紙でまともな地図を見ていなかったのが大きい。まあシカゴに”ヒップ”なエリアがあるかといえば、まああるけど・・くらいの感じでしかないとはいえ、あまりにも省略されすぎだ。

帰ってきてから、改めて歩き方を見ていたら、面白い箇所を見つけた。ずばり、「乗ってもいい&乗ってはいけないバスのライン」。何番のどこからどこあたりまでは乗るな、と具体的に指示されている。こんなの初めて見たので面白かった。たしかに、シカゴはダウンタウンのループ内の人通りの多い場所、オークパークのような平和な離れ小島、一部のヤッピーエリアなどを除く大部分は、日本から来た旅行者だとちょっと緊張する場所ばかりかもしれない。というか、旅行で来てそれなりのホテルに泊まっていれば行くような機会もないのだろうけど・・。私は一人でバスを乗り回してたけど、カリフォルニアよりも、都会的な人々の硬さを少し感じた。友人は、バスで危ない目にあったり、事件を目撃したことは一度もないと言ってたな。でも日本人の目から見れば、車内の雰囲気はちょっと荒々しい。しかし乗ってはいけないバス、ってw
ちなみに、同じく地球の歩き方でボストン中心部の地図を見ていたら、川から南のエリアがグレー一色になっていて、行ってはいけません、と書かれていた。わかりやすいw よっぽどガラリと雰囲気が変るんだろうなぁ。そんなこと書かれてると行ってみたくなってしまう。
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最近観た映画

家族はじめました Life As We Know It

突然赤ちゃんを育てることになった男女(なぜかは伏せておく)。監督はサム・メンデスなので、わりとしっとりめの話かと思いきや、コメディに近くてテンポもよいしかなり楽しい。キャサリン・ハイグルはやっぱりコメディうまい。背が高いので、リサ・クードローを思い起こさせるような。定型コメディに、プラス、ドラマの要素がしっかり組み込まれていて、期待したよりもずっと面白かった。


エージェント・ゾーハン You Don't Mess with the Zohan

全編に渡って曲芸を観てるようなつくり。下ネタのアホさがとことん!最後の方はいささかPCすぎる気がするけど、とことんアホなので、良し。アグリー・ベティに出てたスズキが登場してたけど、マイルドすぎてもったいなかった!



以下2本、久しぶりに観たやつ。

ローズマリーの赤ちゃん Rosemary's Baby

肝心の最後の展開のとこはすっかり忘れ去っていたので、2度目でも楽しめた。まあ、残念な結末というか、そんなにあけっぴろげに見せるの? 陰謀説で頭いっぱいのミア・ファローが不気味可愛くていい。普通にちょっと頭おかしそうだもんな。ハイウエストのロリ衣装っていう妊婦の特権ルックが異常にハマる、てか普段着にみえる。カサヴェテスはやっぱりかっこいいね・・。真っ白のスーツがびしっときまっているよ。


フォレスト・ガンプ Forrest Gump

公開当時高校生だった。試写で観て、学校の課外授業で観て、劇場でもう一度観て、と計3度鑑賞してるはず。やはり今でも、冒頭20分で泣いて、そのあとも少なくとも2回は泣いた。もう理屈じゃなく、どうしようもなく好きな映画。あの女、都合がいいな・・とか、中尉がアジア人女性と婚約するとか(あるある〜)、トム・ハンクスのretardedな喋りがうざいとか、単にやりすぎとか、いろいろあるだろうけど、もう全てを超えるのです。泣いて笑って、アメリカ激動の時代を駆け抜ける男の子(精神的に)の寓話。

今見ると何か違う印象になるかなと思いきや、ほとんど変らなかった・・。ひとつ、忘れててめちゃ驚いたのが、フォレストという名前の由来について。お母さんは、KKKの創設者の名前を自分の息子につけた。人間はときに愚かなことをしてしまう、ってことを忘れないようにするため。すごいロジック。

見落としたのかもしれないけど、フォレスト・ガンプのお父さんはどんな人だったのか、がまた分からなかった・・。

ストーリー全編に渡って、フォレスト・ガンプがやることなすこと、アメリカ現代史といちいち重ね合わせていて、もう詰め込みすぎってくらい。やりすぎてて、そのへんにあまり興味ない人には、なんじゃこれ、な映画かもしれない。

今町山さんが、「なぜ『フォレスト・ガンプ』は怖いのか」というタイトルでWEB雑誌の連載をやっている。町山ウォッチャーには既に聞いた話、も含まれているけど、やっぱり面白い。まだ当のフォレスト・ガンプの話は出てこないけど、めっちゃ楽しみ。なぜ「怖い」のかなぁ・・(思うツボ)。
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最近観た映画

メタルヘッド Hesher

ジョセフ・ゴードン・レヴィット主演。妻を亡くして廃人同然の父親(米版オフィススーパー!のレイン・ウィルソン)と、モーロクしかかりの婆さんと住む少年の一家に、突然JGL演じるヘッシャーと名乗る無頼青年が勝手に居候し始める。あるグループの中に、異質な人物が紛れ込むことによって、影響された人々の行動や考え方が徐々に変わっていくっていうストーリーテリングの手法の1つだと思うけど、ほかにこのパターンでどんな映画があったかな。ちなみに下ネタ連発のヘッシャーをJGLが演じるのは、ちょっと無理があるかな・・。ワープア女子としてナタリー・ポートマンも出演。


抱きたいカンケイ No String Attached

sex friend, f△ck buddy, fun buddy(アグリー・ベティーではアマンダがダニエルとの関係をこう表現してたけど、これは放送用語のせいで言い換えてるだけなのか、普通にこう呼ぶこともあるのか不明・・)いろいろ言い方があるけれど、いわゆるセフレから始まったカンケイがどう進展していくかって話。彼らによると、「服を着たまま添い寝」はセフレにはあってはならないことらしい。最終的なパワーバランスが納得いかなくて、男が書いてたらムカつくけど、女性が書いた脚本なので、しょうがないか・・。アシュトン・カッチャーは体中からバカ臭が滲みでてて面白い。特に首から腹にかけて。相手役のナタリー・ポートマンが、「彼の横で歩いてたら、(比べると自分があまりにも身体が小さいので)まるでロリコンみたいで気持悪い」みたいなことを言ってたのがヒット。


月に囚われた男 Moon

3年契約で、単身月に送られるサム。唯一の話相手は、世話役の人工知能ロボット、ガーティ(声はケビン・スペイシー)ただひとり。任期を2週間残すのみとなったころ、気が狂いそうになっていた彼が事故を起こし、目が覚めると・・。
まったく企業ってのは何やらかすか分からなくて恐ろしい。サムを演じるサム・ロックウェルは、映画でるたび全裸になる俳優の一人だけど、彼は一般にセクシーと認識されているのか??(私はかなり好きだけどさ)。


ネットワーク Network

76年のシドニー・ルメット監督作。架空の大手放送局が、3大ネットワーク(こちらは本物)に立ち向かうべく、視聴率獲得のためにゲテもの番組を製作する風刺ドラマ。大物俳優(ウィリアム・ホールデン、ロバート・デュバル、フェイ・ダナウェイなど)の芝居がかった大演説満載のありえない展開で、ほとんどコメディになってる。メディアに右に左に踊らされる市民と、自身の「世界を回しているのは政府ではなくカネ」理論を広めるために精神を病んだ人間をも利用する企業家。今でいうFOXのニュースチャンネルのエグさの元祖か。


質屋 Pawnbroker

こちらもシドニー・ルメット監督で、もっと古い64年製作。町山さんのドラウマ映画としてwowowで放送された未ソフト化作品。
アウシュビッツの生き残りである初老の主人公は、NYのハーレムで質屋を営んでいる。アウシュビッツのトラウマに悩まされながらフラッシュバックする当時の記憶・・。町山さんと柳下さんのトークを聞いてもらうのが早いです。あの黒人ボスが白人男を囲ってるって描写(直接的じゃないけど)にえらいびっくりした・・。主人公のドイツ訛りも生々しい。60年代当時だと、アウシュビッツに居たのが子供の頃の記憶、ではなく、子供を持っていたぐらいの中年の歳でリアルに身に染み付いているって人がごろごろいたと思うと・・。
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「グラフィック・ノベルについて」:番外編 コミックブック最新事情

 前回まで、グラフィック・ノベルってこういうことかしら、と書いた。こんなの興味ある人ってどんだけいるんだろ・・・と思いつつ、もう少し書き足します。

 昨年10月にサンフランシスコで行われたAlternative Press Expoで手に入れた、エイドリアン・トミネのコミックブック、オプティック・ナーブ(Optic Nerve)に収録された近況漫画で、まさにこの話題について描かれているので、紹介します。

 以前は、薄いコミックブックを買って連載を読む、というスタイルが一般的だったのかもしれないけれど、昨今コミックブックを作ること自体があまり流行らなくなってきているらしい。続きが読みたくてうずうずしながら、不定期なコミックブックの新刊を待ちわびる・・のはちょっと現代のスピード感とは相容れないのは感覚としてよく分かる。最近では、コミックブックで連載せずに、描き下ろしのグラフィック・ノベル(単行本)として出版されるケースが多くなっているのだ。

 下の写真は、オプティック・ナーブの最新刊(12)に載っている近況漫画からの抜粋。ここで、コミックブックを続けたいエイドリアンが、友人で先輩のダニエル・クロウズの発言をラジオで聞いてがっかりする、という面白い場面。




 まわりの人から、グラフィック・ノベルやったほうが金になるぞと言われても、昔ながらのコミックブックが好きなエイドリアン。読者からのお便りページとか、手書きの広告とかが大好きだし、まだコミックブックをやってる作家もいるんだから、やれるだろうと思っていたところで、ダニエル・クロウズのラジオ発言を聞いてショックを受ける。「”フロッピー”(コミックブックのこと)なんて利益も少ないしすぐによれよれになったりして書店も置きたがらない。もうフロッピーなんてやめて、単行本を出すほうがいい」

 家族を養わないといけない身なんだし、格好つけてレトロを気取ってる場合じゃなかった!と苦悶するも、もう20年近く続けているし、毎号出すスリル(単行本より締め切りが多いから)を味わわないと自分がダメになってしまうな、と決心してコミックブックとして最新刊を出すことにする。

 新刊のサイン会をやるために書店に向かったエイドリアンに、客が声をかけてくる。客は、「コミックブック!こんな古臭いことをいまだにやってくれてる人間がいるなんて嬉しいぜ」、と言った後、買わずに帰ってしまう。「あとで単行本になったら、違法でダウンロードしてアイフォンで読むから!」

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 ダニエル・クロウズが80年代末から始めたコミックブック、eightballは2004年を最後に新刊は出ていない。ここ数年単行本として出版されたのは、eightballに載っていた作品を除けば、新聞連載からと、描き下ろしだ。チェスター・ブラウンも、最近のインタビューで、描き下ろしをやるほうがいいと話している。もう少し若い世代の人たちでコミックブックを続けている人もいるけど、最初から全くやってなかったり、インターネットで連載していく作家もちらほらいる。コミックブックは不定期なので、新刊が出ると「待ってました!」と歓迎されているけれど、ひとつの作品の続きを読むのが半年後なんてこともざらにあると思うと、ファンには相当の忍耐が必要・・。ひとつの号で完結してくれればいいけれど。コミックブックで困るのが、発行部数が多くないので、品切れになってしまうこと。私も、4号で買い始めて、1号が手に入らないのでなんだか落ち着かない、という経験がある。単行本になるとしても、えらい先になると思うので、いつになったら最初から読めるのか分からない。海外に住んでるとなると、尚更分が悪いので、本当に、愛と忍耐の世界・・。

 でもエイドリアンの言うように、昔のeightballなどを読むと、手書きのジンを読むような感覚によく似ていて、愛着を感じずにはいられない。なんせ広告からお便りまで全て手書きで、お便りの内容も、いかにも熱いファンレターから苦情まで様々。そして仲間の有名作家から届いた手紙も載っていたりする。お便りの宛先は、eメールアドレスでも私書箱でもなく、普通の住所。まあ古き良き時代を懐かしんでいても仕方ないけれど、今見ると、本当に愛おしい宝物のよう。

 コミックブックは表紙も楽しめて、値段が安いから試し買いもできるし、少しづつ揃える楽しみがある。もし自分が北米に住んでいて、近くにコミック店があったらきっと買うと思う。といっても、時代の流れには逆らえないというか、少なくなっていはいくのだろうなぁ。

 日本国内にも、なんとこれらのコミックブックを販売している、book of daysというお店が新潟にあります。オルタナは単行本でさえ書店に置かれていることがほとんどないので、もうびっくりしてしまいます。紹介したエイドリアン・トミネのOptic Nerve 12も今見たら在庫切れだけれど、入荷したことがあるみたいです。私はまだ行ったことがないのでネットから眺めてますが、いつか訪ねてみたいお店です。

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「グラフィック・ノベル」について:後編

   


 前編では、グラフィック・ノベルは、単行本を指す意味で使われていることを書きました。ここまでだと、言葉の定義なんてつまらんなぁ、とだるくなってしまうので、2つ目の、内容のジャンルとしてのグラフィック・ノベルはどうなのか、に移ります。私もそうだったけど、文芸的なものをそう呼ぶのでは、というイメージを持っている人も多いと思う。しかしスーパーヒーローも、フォーマットとしてだけではなく、内容的にもグラフィック・ノベルと位置づけられているものが多い。
 コミックファンの中には、グラフィック・ノベルなんて、気取った呼び方は嫌だ!という人はたくさんいる。グラフィック・ノベルと呼ぶか、コミックスと呼ぶか、は一時よく話題になっていて、今でもたまにインタビューで質問に上がっているのを見かけるので、それなりに大きな関心事であることがわかる。このちょっとむずがゆい、グラフィック・ノベルという言葉はなぜ広まったのか、アメリカのコミックス事情を踏まえた背景から。 

 日本のように、おっさんが電車で漫画雑誌を堂々と読んでいたり、街中にアニメ調のイラストがあふれている国ではいまいちピンとこないけれど(まあ日本でも大人になって漫画に夢中な人は限られてはいるけど、そんなにバカにはされないよね)、特にアメリカではコミックスはガキの読むもんだ、というのがいまだに一般的な考え方なのだ。立派な大人にとってコミックスは、新聞に載っているので目を通したり、子供の頃にハマったスーパーヒーローで卒業するもの。50年代には、過激な犯罪・ホラーコミックスが子供のあいだで流行したことから、全米で抗議行動が起こり、出版社が自主規制をするようになった経緯があるのも影響している。コミックスは危険な読み物です!と声高に叫ばれた時代があった。また「コミックス」という言葉自体に、幼稚なもの、とるにたらないもの、というイメージがあるようだ。


   


 60年代のカウンターカルチャーの時代になると、ロバート・クラムなどがアンダーグラウンドコミックスと呼ばれるようになった、お下劣で政治的に正しくないネタだらけの作品を描き始め、それを読んで育った世代が80年代に今のオルタナティブの分野を確立してゆく。ダニエル・クロウズ、ピーター・バッグ、ヘルナンデス兄弟、チェスター・ブラウン、チャールズ・バーンズなどがその世代にあたる。彼らは、自身を題材にしたり、普通の街に住む普通の人々を主人公にした作品を生み出していった。従来のコミックスのように、単純なユーモアに走るでもなく、ファンタジーでもないリアルなコミックスがどんどん出てくる。

 アメリカのコミックス市場は日本よりケタハズレに小さいという。景気の良さそうにみえるスーパーヒーローものも、映画化が続いているのが影響しているだけで、長らく低迷していた(ハリウッドがネタ切れなだけ)。オルタナとなると、さらにさらに小さなマーケットということになる。前述したように、「コミックス」というと、なんだかしょうもないように聞こえてしまって、マーケットが広がらない。スーパーヒーローはガキっぽいと思っている大人にも、オルタナなら抵抗なく読めるだろうし、こんなに優れた作品がたくさんあるのにもったいない。グラフィック・ノベルという言葉はこの状況を打破するために使われるようになったと思われる。ノベルと名乗れば、まともな本だと理解され、間口が広がるだろうという、出版社や流通などのビジネスサイドによる販促戦略の一環、という側面がある。これはオルタナに限らず、スーパーヒーローものの業界でも同じだろう。アラン・ムーアウォッチメンなど、正義のために戦うだけにとどまらない、複雑なアンチ・ヒーローを描いた作品が増えてきた。



 といっても、そもそもグラフィック・ノベルという言葉を使い出したのは、コミックス作家たち自身だといわれている。たしかに、オルタナの作家には、コミックスが世間で真面目に受け取られない現実を嘆く人もいる。いかに優れていて、内容はシリアスで政治的ですらあるとしても、コミックスだとそんなに売れないのだ。この現状にフラストレーションを感じる作家がいても当然おかしくない。しかしオルタナの世界だからこそ、あえてグラフィック・ノベルという言葉に付随してくるスノッブさを嫌う人もいる。グラフィック・ノベルかコミックスか?論争は、詰まるところ、ノベルとか呼んで高尚ぶろうとしてる!とか、昔から馴染んだコミックスという言葉に愛着がある、などの情緒的な問題にもなってくる。ここは、現代のオルタナ・コミックス作家を代表しているといってもいい、ジミー・コリガンの作者クリス・ウェアと、映画化もされたペルセポリスの著者マルジャン・サトラピの考え方を聞いてみよう。




 2006年にラジオで放送された、グラフィック・ノベルという言葉について話している音源があります。といってもごく冒頭の部分だけで、この短い部分のみをyoutubeにあげている人がいたので発見した。グラフィック・ノベルという言葉についてどう思うか聞かれた二人。マルジャン・サトラピは、「コミックスのほうが好き。子供や馬鹿な大人が読むのはコミックスで、そうでないものはグラフィック・ノベルと呼ぶなんて変。シュワルツェネッガーの映画もジョン・フォードの映画も、全て映画って呼ばれてるじゃない?」と話している。
 クリス・ウェアいわく、「コミックスと呼ぶ方がずっといい。コミックスが元々はくだらないものだったことを隠そうとしたりしないから。グラフィック・ノベルなんていうと、チャタレイ夫人の恋人なんかを思い出してしまう。パーティーやスーパーなんかで人に会って、相手が僕のやってることを知ったとき、『コミックスとか・・小説かなんかのアーティストなんですか?』とか、すごく言いにくそうに聞いてくるんだ。まるで人種差別的なことを口にしちゃいけないと思ってるみたいに。今どきの、不快感を与えない言い方ってなんだろう?、とびくびくしてる。グラフィック・ノベルは『今どき』の言葉なんだろうね」

 ここで二人が話しているのは、グラフィック・ノベルという言葉によって、コミックスを真面目なものと、俗っぽくて面白可笑しいものに分けてしまうことのナンセンスなのだと思う。中東潜入レポートも、遅漏で悩む青年の話も、すべて同じくコミックス。どんなストーリーでも、絵と吹き出しで語ることによって自由な表現を得られるのが、なんといってもコミックスの強みだから。
 作家にもよるけれど、コミックスを描く人たちは、グラフィック・ノベルと呼ぶことで、作品をあんまりシリアスに受け止めて欲しくないとする傾向があるように思える。クリス・ウェアが、コミックスってもともとくだらない要素もあるんだから、と話しているけれど、彼のジミー・コリガンを読むとよくわかる。ジミー・コリガンは、コミックスなのに壮大で非常に文学的だとされている。それはそうだけど、同時にいかにもコミックスらしい間の抜けた笑いもふんだんに含まれているのも見逃せない。あのアウシュビッツをネタにしたマウスでさえ、一番印象に残るのは、父と息子のスレ違いから生まれる滑稽さだったりする。ダニエル・クロウズは、ゴーストワールドを読んでブルーになったと読者から言われることについて、あれはものすごく笑える話なんだけどね、とコメントしている。
 どんなストーリーでも、コミックスってのは基本的には可笑しいもんなんだから、ノベルなんて言い方しなくてもいいんじゃないかな、というところでしょうか。

 一方で、グラフィック・ノベルが浸透したことによって、より多くの人々の関心をひくことができたのかは、よく分からないけれど、少なくとも、コミックスといっても色々あるんだな、ぐらいの認識は広まったんじゃないだろうか。実際にセールスがどれくらい伸びたのかは分からないけれど・・。ちなみに、ごく最近のダニエル・クロウズのインタビューで、グラフィック・ノベルについてまた聞かれているのを読んだ。昔は嫌な呼び方だと思っていたけど、最近ではもうなんとも思わないよ、とあっさり答えている。それだけ根付いてきたということで、言葉なんてそういうもの。今では、もう誰もあまり気にしてないのかもしれないけれど、クリス・ウェアとマルジャン・サトラピの発言はもっともだよなぁ、と納得するのです。


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日本語の資料

実は日本語で得られるコミックスについての本は少なくて、オルタナになるとさらに厳しい・・。古くから日本に海外漫画を紹介している小野耕世さんの本が一般的だと思いますが、ここでオススメするのは、
STUDIO VOICE 特集:”アメリカン・オルタナティヴ=コミックス”集成
2002年1月 vol.313
です。知る限りでは、80年代以降の北米のオルタナ・コミックスについてきちんと書かれている出版物はおそらくこれだけです・・。古本屋やネットで探してみてください。
ほかにはちょっと内容は古いけれど、ザ・ヒストリー・オブ・アメリカン・コミックス(DVD)も面白いです。スーパーヒーローだけでなく、オルタナもカバーしています。


*コミックブックの最新事情について、次回に持ち越し・・。
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「グラフィック・ノベル」について:前編

 グラフィック・ノベル(ノヴェルかどうかはさておいて)という言葉が定着して随分経つけれど、やはり今でも、何それ?コミックスとどう違うの?という発言を見かける。(ネット上で、ごくごくたまに)。グラフィック・ノベルといっても実際は明確な定義があるわけではなくて、要は普通のコミックス。日本で漫画を漫画と呼ぶように、北米では総称としてコミックスと呼び方があり、コミックスの中で、一部グラフィック・ノベルと呼ばれるものがあるという感じ。

 私が最初にグラフィック・ノベルと聞いてイメージしていたのは、ユーモア・冒険・犯罪・ホラーといった昔からあるコミックのスタイルとは一線を画す、文芸寄り、あるいは時事問題を扱ったもの。つまり、完全に成人をターゲットとしたストーリーのコミックス 。「コミックス」と呼ぶにはいまいちそぐわない作品が次々と出てきたことで、新たなジャンルを作り出す必要があったのかな、ぐらいに思っていた。アート・スピーゲルマンによる、父親のアウシュビッツ体験を描いたマウスはその典型だ。そしてスーパーヒーローは、グラフィック・ノベルじゃないのだろうと思いきや、出版社などのサイトを意識してみてみると、スーパーヒーローものもグラフィック・ノベルにカテゴライズされている。


 グラフィック・ノベルという言葉は、大きく2つの使い方をされている。1つ目は、フォーマットを指す呼称として。2つ目は、内容によって区別されたジャンルとして。ただしどちらも、特に2つ目に関しては当然グレーゾーンがあって、とても曖昧。このあたりが、グラフィック・ノベルってなんなんだよ!と言われる所以でもある。
 コミックスといってもジャンルによって事情が違うと思うけど、私はアメコミはよく知らないので、ここでは主にオルタナティブ・コミックスの世界を見渡してみます。こういう話ってどうも用語の概念とか、ややこしくなりがちなので、まあ結局こんな感じだろう、ぐらいの個人的な印象として書いています。

*ここでは、グラフィック・ノベルという言葉の出自については触れていません。こんな記事もあります。あと、北米の漫画を「コミックス」と書いているのは、ややこしいけれど、漫画というと、北米では独立したジャンルになっている、日本漫画の「MANGA」と被るので、避けました。


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 まず1つ目の、フォーマットの区別としてのグラフィック・ノベルという呼び方。私は今ここで書こうとするまではあまり意識してなかったけれど、薄っぺらいコミックブックに対して、ソフトorハードカバーの本を「グラフィック・ノベル」として分けているところもある。例えば、バットマンを擁するDC COMICSでは、comicsはコミックブック、graphic novelsはソフトorハードカバーの本(以下、単行本)と大体分けて置かれている。つまり、背表紙のある単行本として出版されたコミックスをグラフィック・ノベルと呼んでいることになる。
 では、その薄っぺらいコミックブックって何? 以下、日本にはないコミックブック(comic book)について少し説明します。



 日米の漫画で違うのは、このコミックブックの存在。日本だと漫画雑誌がたくさんあって、そこで連載された作品が後に単行本になるけれど、向うでは日本のようなスタイルでの漫画雑誌にあたるものがない。しいていえば、出版社が編集した自社作品のショウケースの役割を果たすアンソロジーがあるくらい。でもこれは非常に細々とやっていて、連載でもないので、やはり日本の漫画雑誌に匹敵するものではない。
 コミックブックは、一人の作家が1つ、あるいは複数のストーリーを収録した30頁程で3ドル前後の冊子というスタイルが一般的(現在では紙質も良くなって、4〜6ドル前後)。これが数年シリーズ化して連載され(不定期)、後にその中の作品が単行本としてまとめて出版される。例えば、ダニエル・クロウズゴーストワールドは、eightballというコミックブックで、他のストーリーと並行して連載されていたもの。
このような薄い冊子であるコミックブックに対して、単行本を区別するためにグラフィック・ノベルという言葉が使われているというのがひとつ。

 ちなみに、DCではわりとはっきりとコミックブックとグラフィック・ノベルを分けていたけど、スパイダーマンを擁するMarvelになると、グラフィック・ノベルという単語が見当たらず、単行本を含むすべてをcomic booksとしている。この辺は社風なのかもしれない。

 オルタナ系出版社になると、この分け方はもっと曖昧になってくる。comic booksに単行本が入っていたり、graphic novelsに薄いコミックブックがあったりする。これはフォーマットだけでなく、内容的に区別する意味もあって、2重になっているものと思われるけど、もうだんだん、どっちでもええわ、って気になってくる・・。
 大手のFantagraphicsでは、グラフィック・ノベル以外に、newspaper stripsのコーナーがあって、こちらはいかにもコミックスといった昔の作品が並ぶ。また、ニューヨークタイムズのベストセラーランキングでは、すべてgraphic booksという括りになっている。ニューヨークタイムズみたいなちょっと高尚な新聞はコミックスという言葉は使わないのだろう。そもそも、ここでベストセラーとして登場するコミックスに、内容的にグラフィック・ノベルと呼べないようなタイプ(下品でアホなやつ)の作品は挙がらないだろうから、ここでは呼称はあまり意味がないかな。ただ、「ノベル」という言葉を外しているのは意識的にやっているのかもしれない。
 こうして見てみると、厚い本だからグラフィック・ノベルで、薄いのはそうじゃない、とは言い切れないけれど、まあそういう傾向があると認識はされているという感じ。

*コミックブックについては後に補足があります。

後編(グラフィック・ノベルのジャンルとしての位置付け)へ続く。
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最近観た映画


25時 25th Hour

まっとうな道を踏み外したエドワード・ノートンが、チクられて刑務所に7年ブチ込まれることになる。旧友(P・S・ホフマンとバリー・ペッパー)や父親、ガールフレンドと過ごす最後の24時間+1時間。
監督はスパイク・リー。ポスト911のニューヨークが舞台で、そこかしこに911の爪痕を織り交ぜている。父親のレストランに飾られた、殉職した消防士たちの写真。タワー跡の真ん前に住むバリー・ペッパーは、ここの空気は汚染されてるんじゃないのか?とタワー跡を高層マンションから見下ろしながら言うP・S・ホフマンに、今隣りのビルが吹っ飛んだって俺はここを出て行かないぞ、と言い返す。ノートンは鏡に向って、NYに住むあらゆる人種のステレオタイプを挙げながら、全員クソだ!と憤るも、最後には、一番クソなのはお前じゃないか、自分で何もかもブチ壊しやがって!と鏡の中に向けて言い放つ。
911というと、私はどうしてもまず最初に、自業自得という言葉が浮かんでしまって、単なる喪失の物語だとどうも寄り添えない。でもさすがにスパイク・リーなので、過去の行いを悔いる主人公の物語と、NY市民の911に対する苦い思いをうまくリンクさせていると思う。
旧友役のバリー・ペッパーが素晴らしい。複雑なキャラクターをすごくうまく演じている。



ホットロッド/めざせ!不死身のスタントマン Hot Rod

近所でボロいモペットを乗り回すロッド(アンディ・サムバーグ)は死んだ実の父親のようになりたくて、自称スタントマンとして修行中。仲間たち(ビル・ヘイダー、ダニー・マクブライド)の協力もあって、日々猛特訓。ロッドの義父とは犬猿の仲。毎日のように取っ組み合っては、やられっぱなしなので、いつかブチのめしたいと頑張るけどなかなか勝てない。しかし実は義父が病に侵されていて、移植を受けるにはお金がいる。最後まで勝負したいロッドは寄付金を募るために一世一代の大勝負にでる。

映画を通して見るよりも、youtubeで部分的に見るほうが面白いかも。コメディってネタとネタの間がヌケたような感じがしてしまうから・・。これとか爆笑!



アホな連中になぜか喜んでついてくるかわいこちゃん(お買い物中毒な私に出てたアイラ・フィッシャー)もちゃんと出てくる。この布陣なので、ここ数年のバディコメディの典型。アンディ・サムバーグって顔がぐにょぐにょしてるなぁ。まだジョアンナ・ニューサムと付き合ってるのかしら。まだ映画での大きいヒットはないけれど、そのうち出てきそう。最近好きなラシーダ・ジョーンズと共演してるCeleste and Jesse Foreverを今サンダンスで上映中で、すごく楽しみ。




ガールフレンドエクスペリエンス Girlfriend Experience

高級コールガールの主人公は、エージェントなどに登録せずに一人で客をとっている。ただホテルに行くだけではなく、外で食事をしたり、相手の家を訪ねたり、愚痴も聞いてあげる、まさにあたかもガールフレンドのようなサービス。彼女はジムでトレーナーの仕事をしているボーイフレンドと暮らしていて、彼女の仕事に理解を示している。

本物のAV女優が主人公を演じていて、ドキュメンタリーとまではいかないけど、登場人物たちから距離をとったようなカメラワークで、S・ソダーバーグ自身の昔の監督作、セックスと嘘とビデオテープを思い出させる。ガールフレンドエクスペリエンスは、ストーリーがほとんどない。コールガールをやっているといろいろトラブルがあったり、自分が絶大な信頼を寄せている人格学(相性占いみたいなもので、彼女はこれを基準に客を選んでいる)をけなすボーイフレンドと喧嘩したりするけれど、どれもがクローズアップされず、淡々と時間が過ぎて終わってしまう。リーマンショック後の設定のせいか、やたらまわりの人間たちが金の話をしていて、世相を表してはいるけれど、何が言いたいのかな・・。ダイヤモンド売りのユダヤ人との絡みは笑ったけど。
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